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shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『シン・ゴジラ』(2016年公開)

シン・ゴジラ

2014年7月29日公開

脚本・編集・総監督 庵野秀明

監督・特技監督 樋口真嗣

准監督・特技総括 尾上克郎

 

実に12年振りとなる日本ゴジラシリーズの最新作。

 

新世紀エヴァンゲリオン』の庵野監督や樋口監督等が関わり、公開前には『ゴジラエヴァンゲリオン』と言うコラボ企画も行われ、劇中にもエヴァを思わせるものがあちこちに見られる。自分はゴジラエヴァも好きなので思わずニヤリとしてしまう場面がいくつかあった。(例を挙げれば、単体で進化を繰り返すゴジラが生命の実を得た使徒で、それに対して人間は知恵の実を得た存在。その他にも牧博士が東京湾で行った事はセカンドインパクトの遺伝子ダイブを使ってのゴジラとの接触だったとか、ラストシーンのゴジラの尻尾もアダム(リリス)だとか、繋げようと思えば色々と繋げられる)

 

設定に関しては過去のゴジラシリーズは全てリセットされている。ミレニアムシリーズでは1作目の『ゴジラ』をパラレルにしている作品がいくつかあるが、今回は過去に一度もゴジラが現れた事が無いと言う設定になっている。これは日本のゴジラシリーズでは初めての事。

 

ゴジラシリーズはその時代の問題を取り込んでいる事があり、本作では2011年に起きた東日本大震災原発事故を取り込んでいる。本作におけるゴジラは「日本と言う国に降りかかった大いなる困難」と言う側面があり、その困難に対して日本はどのように立ち向かっていくのかと言う展開になっている。「現実対虚構」と言うキャッチコピーがあったが、ゴジラと言う「虚構の存在」を使って、東日本大震災原発事故を経た「現実の日本」を描いている。

 

本作はキャストが多いのが特徴の一つであるが、これはゴジラと言う「大いなる困難」に対して日本がどういうリアクションを取っていくのかを描く為。キャッチコピーの「現実対虚構」に「ニッポン対ゴジラ」と言う読みが付けられたように、ごく一部の人間ではなく日本全体がゴジラに関わる為、必然的に登場人物が多くなった。

ただし、実際には政府と自衛隊関係者を中心に描写されている。これは日本全体を巻き込む事態が起きた場合に政府や自衛隊はどのように対応していくのかを主に描いたから。

その為、現場でゴジラに襲われた人々の描写は意外と抑えめにされてある。ゴジラシリーズに限らず、怪獣作品では現場で怪獣に襲われたり怪獣に対処したりする人々を中心に描く事が多いが、本作では怪獣と主要人物との距離を離し、出来るだけ間接的な関わりに描いている。(今回のゴジラの身長が過去最大になっているのは、人間が遠くからゴジラを見るので、ゴジラを大きくしないとその姿を見れなくなっちゃうからかもしれない)

その結果か、怪獣による被害はゴジラシリーズの中でも大きい方なのだが、どことなくドライな感じを受ける。今の日本ではその方が逆に現実的な感覚になるのかもしれない。

 

最初はゴジラと言うあり得ない存在を政府は認識出来ず後手後手に回る。ここでの政府関係者の対応はややコミカルで現実を皮肉っている感じを受ける。それがゴジラと言うあり得ない存在が公になり、事態がどんどん悪化していくに従って政府関係者の態度もシリアスになっていき、やがて事態打開の為に皆が最善を尽くすと言う「こうあってほしい」と言う理想が描かれていくようになる。終盤になると誰も彼も格好良くなるが、これはゴジラと言う虚構の存在に対応していく中で人間もそれに引っ張られて理想(虚構)に近い存在になっていっているように見えた。「この理想を虚構ではなくて現実にしなければいけない」と言うのがスタッフのメッセージのような感じがする。

 

主人公の矢口だけは最初から怪獣の存在を想定して最善を尽くそうと動いていた。まるで怪獣作品の登場人物のようで、それが現実寄りの描写がされている映画前半では周りから浮いていた。しかし、ゴジラの存在が公になり、皆がそれに対応していく事で映画の描写も現実寄りから怪獣作品ならではのものへと変わっていく中で最初は浮いていた矢口の存在が浮いてこなくなっていく。正確には周りも矢口と同じ怪獣作品ならではの登場人物へと変わっていった。

なので、映画前半では矢口に感情移入すると周りの政府関係者の言動にイライラし、逆に周りの政府関係者の言動が自然だと思うと矢口の突拍子の無さに戸惑う事になるが、その映画前半で受けたフラストレーションが登場人物全員が一つに向かうようになる映画後半では大きなカタルシスに変わるようになっている。

 

本作を過去のゴジラシリーズに当てはめるとするなら『ゴジラ(1984)』が最も近いと思われる。あれも「ゴジラと言う存在を現在(1984年)に出現させたらどうなるのか?」と言うシミュレーション要素があった。本作はそのシミュレーション部分をさらに突き詰めたと言う感じになっている。

もし本作を見た後に過去のゴジラシリーズに興味を持った場合は始まりとなる『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』と平成シリーズの始まりとなった『ゴジラ(1984)』『ゴジラVSビオランテ』を見る事を勧める。この二つと『シン・ゴジラ』を見比べれば、「始まりのゴジラ」、「平成になって変わったゴジラ」、そして「現在のゴジラ」を知る事が出来る。

本作はドキュメンタリータッチと言うより、自分の受けた印象ではやはりシミュレーション要素が強い作品と言える。大いなる困難が降りかかった時に日本はどういうリアクションを取るのか、そして出来ればこういう対応をしてほしいと言うシミュレーションになっている。

その為か本作はドラマが弱い。と言うか、作品全体を貫くドラマは無いと言っても良い。「対ゴジラ作戦」と言うシチュエーションを軸に拘ったディティールをいくつも積み上げていく作りになっていて、映画全体を見渡すとややとっ散らかった部分がある。その辺りはクライマックスの盛り上がりで押し切ろうとした感があるが、気になる人は気になるかもしれない。

 

また、意図したかどうかは分からないが、そこかしこにアメリカで制作された二本のゴジラ作品を思わせる描写や展開がある。『ミレニアム』が1998年に公開された『GODZILLA』に対する日本の返答であったように、ここは2014年に公開された『GODZILLA ゴジラ』に対する日本の返答と捉えて解釈してみるのも面白い。

一つだけ気になったのは『GODZILLA ゴジラ』には渡辺謙さんが参加して日本的な怪獣観を組み込んでいたので、本作ではカヨコの役をアメリカ人に演じてほしかった。石原さとみさんは好きなのだが、彼女が後のアメリカ大統領候補と言われてもピンとこなかった。

 

映像に関しては「日本の予算と時間でもここまで出来る」と言うのを見せてくれたと思う。全体的に昼間の場面は面白い興味深い見せ方が多く、夜の場面は美しくて格好良い見せ方が多かった印象。

 

最終決戦はその名称から『エヴァンゲリオン』を思い出す人も多いと思うが、個人的にはゴジラが体のあちこちから光線を撃って戦闘機を迎撃する姿を見て『地球防衛軍』の最終決戦を思い出した。

 

本作におけるゴジラと牧博士の関係だが、1作目の『ゴジラ』のゴジラと芹沢博士の関係を逆にしたものなのかなと思う。『ゴジラ』では最後に芹沢博士が自分の命を賭してゴジラを葬ったのに対して本作では最初に牧博士が自分の命を賭してゴジラを地上に出現させたと。(そういう意味では芹沢博士が東京湾で使用したオキシジェン・デストロイヤーによって初代ゴジラを葬った一方でデストロイアを現世に出現させてしまったと言うのにも近いかも)

牧博士のキャラクター自体は劇場版『パトレイバー』の帆場に近いかな? 劇中では既に死んでいるところも含めて。

 

今回の『シン・ゴジラ』は色々なコラボが行われていたが、映画の最後でこれから日本はゴジラと共生していかなくてはいけないと語られていて、映画の中の日本はこの後にゴジラを使って復興を行うと思うので、その際はゴジラと言う存在を使って色々な企画やらが展開されると考えたら、『シン・ゴジラ』関連の無節操に近いコラボ企画は「映画のその後」と見る事が出来るかもしれない。

 

見終わった感想としては「これをメジャーの商業作品でよく作れたなぁ」である。

怪獣出現とそれへの対処のみを描くと言う怪獣作品好きにはたまらない作りであるが、一方でそれらに興味関心が無い層にはアピールしにくいとも言える作りであり、普通は怪獣部分に興味関心が無い層も取り込む為に恋愛要素等を組み込むのだが、それらを一切省くと言う割り切りが凄まじい。日本でメジャーの商業作品でここまで怪獣作品である事に拘る事が出来た作品が誕生するとは思いもしなかった。

 

「好き」か「嫌い」かで言ったら、間違いなく「好き」!

そして改めて思う。伊福部音楽は最高だ!と。