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shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『デッドプール』(2016年公開)

X-MEN

デッドプール

2016年2月12日アメリカ公開

監督 ティム・ミラー

脚本 レット・リース ポール・ワーニック

 

X-MENシリーズ第8弾にしてデッドプールシリーズの第1弾。

映画で考えると、X-MENシリーズのスピンオフであるウルヴァリンシリーズからのさらなるスピンオフと言うなんだかややこしい作品。

因みにX-MENシリーズでは初めてヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリンが登場していない作品となっている。

 

デッドプールことウェイド・ウィルソンは『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』にも登場しているが、後の『X-MEN:フューチャー&パスト』で1973年以降の歴史が書き換えられて、このエピソード自体が「無かった事」となっている。なので本作は『X-MEN:フューチャー&パスト』での歴史改変後の時間軸が舞台になっていると考えられる。

 

全身が鋼鉄となっているコロッサスが普通に町中でタクシーに乗っているので、タクシーの運転手が奇特な人でなければ、この世界ではミュータントはそれほどあからさまな迫害を受けていないと考えられる。しかし、一方でエイジャックスが人工ミュータントを作り出して奴隷として売りさばいていたりする等、問題が全て解決されたわけでは無さそうだ。また、旧三部作の世界に比べてミュータントに対する偏見が減ったとしても、皮膚が崩れたウェイドを街の人々が奇異の目で見ると言ったように差別や偏見が人間の中から消え去ったわけではない。

 

本作の前半は過去と現在の同時進行で、過去編では人間ウェイド・ウィルソンが運命の人と巡り会い、不治の病を宣告され、それを治そうとして騙され人間としての未来を奪われる様が描かれ、かなり悲惨な展開となっている。一方で、現在編では超人デッドプールのやりたい放題な復讐劇が描かれていて、過去編の重い雰囲気を現在編の軽いノリで中和し、また現在編での超人デッドプールの何でもありでメチャクチャでぶっ飛んだところを過去編での人間ウェイド・ウィルソンの恋や苦悩でしっかりと地に足が付いたドラマへと着地させている。

ウェイド・ウィルソンとデッドプールは同一人物であるが、ウェイド・ウィルソンがなんだかんだ言いつつ人殺しは極力避けたり、自分の弱さを隠す為に冗談を言うと言うように人間ぽいのに対し、デッドプールは躊躇いなく容赦なく人を殺し、笑える冗談の中に凶器が見え隠れすると言うように人間らしさが欠如している。

 

前半は人間ウェイド・ウィルソンを描く過去編と超人デッドプールを描く現在編に分かれていたが、回想シーンが終了する中盤からは超人デッドプールであり人間ウェイド・ウィルソンである一人の男を描くようになる。マスクを付けて好き勝手にする反面、マスクの下の素顔では恋人に拒絶される事を恐れている等、超人デッドプールとしての強さと人間ウェイド・ウィルソンとしての弱さが同時に描かれ、キャラクターに深みをもたらしている。

 

最後はデッドプールとしてエイジャックスを殺して復讐を遂げ、ウェイド・ウィルソンとして恋人ヴァネッサと結ばれる。そして人間ウェイド・ウィルソンとして物語の中できちんとハッピーエンドを迎えた後、今度は超人デッドプールが物語の枠を超えて次回作について観客に宣言して終わっている。この辺りの人間ウェイド・ウィルソンと超人デッドプールとの役割分担が徹底しているのが良い。

ラストシーン以外にも、実は人間ウェイド・ウィルソンの冗談はメタ的なネタでも「あくまで物語の中における冗談」として処理できるようになっている。ウェイドは第四の壁を越えて観客に語りかける事は無く、冗談の中身も自分がこれまで見てきた漫画やアニメや映画について語っただけとしている。それが超人デッドプールになると「物語の枠を超えた冗談」が出来るようになり、第四の壁を越えて観客に語りかけるし、冗談も「自分が映画のキャラクター」である事を意識したものに変わっている。デッドプールは色々な意味で「人間を超えた」のだ。

 

自分はあまり映画は多く見ていないのでネタに関してはおそらく半分以下くらいしか理解していないと思うが、それでも楽しめた。それは物語の基本はデッドプールオリジナルで構成されていて、ネタ部分はその周りを彩る感じで付けられていたからだろう。なので他の映画の知識が無くても楽しめると思う。(さすがにX-MENシリーズに関しては多少の知識が無いと大変だけど) 逆にハチャメチャなキャラとしてネタ部分を楽しもうとすると、思ったより真面目な作品だったとして物足りなさを感じるかもしれない。

本作は大筋を辿ると王道の超人モノに見えるが、それを一癖も二癖もあるキャラによって独自の雰囲気を持つ作品に変えていると言える。

 

今回のX-MENメンバーはコロッサスとネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッドの二人。

コロッサスはこれまで地味でいまいち目立たないが有能な人物として描かれていたが、本作ではキャラ立ちしまくった一方でかなり面倒くさいキャラになっている。もし『X-MEN2』や『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』でのコロッサスが本作のようなキャラだったらウルヴァリン達は途中で全滅していたかもしれない。

ネガソニックは坊主頭の不機嫌そうな女の子と言うキャラが素晴らしい。アメコミ映画の女性キャラはセックスアピールを強調するものなのだが、ネガソニックはそう言ったものを排した事で独特の存在感が出た。敵の女性キャラであるエンジェル・ダストも女優やモデル体型ではなく格闘家を当てていて、こちらも実際の活躍は少ないが存在感があった。

女性と言えば、デッドプールの同居人である盲目の女性アルも存在感が抜群であった。過去が語られていなかったのもあって、個人的にはデッドプール以上に印象に残る人物であった。

 

R-15で遠慮がいらなくなったからか、色々と吹っ切れていてアクションシーンが面白い仕上がりになっている。

アメコミ映画はX-MENシリーズやスパイダーマンバットマンやマーベル・シネマティック・ユニバースの成功を受けて今や映画界において大きな存在となっているが、反面、幅広い層に見られるように、シリーズとして全体の整合性を乱さないようにと、色々と制限が課せられるようになっている部分もある。本作にはそう言った制限が殆ど無いので実にのびのびとした内容になっている。

映画の企画自体は数年前からあったらしいが、『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』『X-MEN:アポカリプス』と言った各シリーズが大作を発表する2016年に公開された事で、これら現在のアメコミ映画の主流に対するカウンターになったと言える。