shoryu38の特撮・ヒーロー日記

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『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(2011年公開)

X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(X-MEN FIRST CLASS)

2011年6月3日アメリカ公開

監督 マシュー・ヴォーン

脚本 ザック・ステンツ アシュリー・ミラー ジェーン・ゴールドマン マシュー・ヴォーン

 

X-MENシリーズ第5弾にして新三部作の第1弾。

 

前作『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』と同じく旧三部作の前日談となっていて、本作ではプロフェッサーX、マグニートー、ミスティーク達の過去が語られている。

 

この作品単独で見た場合は傑作である事は間違いないのだがX-MENシリーズで見た場合は過去の作品との矛盾が多くて色々と困ってしまう作品でもある。

 

まずプロフェッサーXことチャールズとマグニートーことエリックであるが、本作ではキューバ危機が起きた1962年にチャールズは負傷して車椅子生活になり、チャールズとエリックはそれぞれの道を進んで決別したとなっているが、『ファイナル・ディシジョン』では1980年代の場面でチャールズは普通に立って歩いていて、エリックと二人でジーン・グレイを恵まれし子らの学園へと誘っている。また『X-MEN ZERO』でもチャールズが立っている状態でサイクロップス達を助けに来ている場面がある。

チャールズが立っている事に関しては『X-MEN:フューチャー&パスト』でチャールズの下半身不随を治す為に色々な事が講じられているとなっているので、立って歩けていた時期もあったと考える事が出来る。また、本作もそうだが、チャールズとエリックは対立しながらもどこか繋がりもあるので、これも時と場合によっては二人で一緒に行動する事もあると考えて良いだろう。

 

後に恵まれし子らの学園となる屋敷が登場し、チャールズはこの屋敷を「義父の物」と紹介している。アメコミ原作ではチャールズの実母が再婚したとなっているので、おそらくそれを踏襲していると思われる。因みにこのチャールズの義父の実子がジャガーノートなのだが、『ファイナル・ディシジョン』を見る限り、映画版ではその設定は取り上げれられていないようだ。

『ファイナル・ディシジョン』と言えば、ジーンによって分解されたチャールズは昏睡状態に陥っていた双子の兄弟に精神を移動させて復活したらしいが、この双子の兄弟は本作には登場していない。この時既に寝たきりになっていたのだろうか…?

 

本作のヒロインであるモイラであるが実は彼女は『ファイナル・ディシジョン』に登場している。(寝たきりになっているチャールズの双子の兄弟を看病してた人) 役者の年齢を考えなければ、本作で記憶を失った後、何らかの事情で記憶を取り戻し、再びチャールズに協力していると考えられる。

 

ヘルファイア・クラブの一員であるエマ・フロストであるが実は彼女も『X-MEN ZERO』にケイラの妹として登場している。さすがにこちらは同一人物とするには色々と無理が生じるので、同じ名前で同じ能力を持つ人物が偶然いたと考えるしかなさそう。

 

本作はチャールズとエリックの二人が主人公。

チャールズは「人間とミュータントは同じ」と捉え、その中で「人間」を基本としている。なので「ミュータント」の誇りを大切にしながらも基本的には「人間社会に適応する」事を考え、レイヴンにも人間の姿でいる事を勧めている。これはチャールズがレイヴンやハンクと違って外見が普通の人間であり、エリックのように人種で弾圧された事が無いから。チャールズは優秀な頭脳を持ちながらも酒場で馬鹿騒ぎが出来るほどの社会性も持っているので、ミュータントの能力も頭脳の優秀さと同じようにどこまで見せてどこから隠せば良いのか考える事が出来る。

一方でエリックは「人間とミュータントは別」と捉え、その中で「ミュータント」を基本としている。なので「人間社会」に対して「ミュータント」である事を隠す必要は無くむしろ誇れと考え、レイヴンにも人間の姿でいるよりミュータントの姿の方が美しいと告げている。これはエリックがユダヤ人で迫害を受けた事で、社会で生きていくには「ユダヤ人」や「ミュータント」である事を隠した方が良いと言う現状に対し、自分のアイデンティティを守る為にむしろこれらを掲げて戦おうと言う考えに至ったから。エリックは己を隠したり偽ったりする事はアイデンティティの否定に繋がると感じている。

もっとも、チャールズは人の心が読めるので自分のアイデンティティを守る為に己を出す事でどのような事態になるのかを予測できるので、エリックが「実際にやってみなければ分からない」とするのに対し、チャールズは「やってみなくても分かってしまう」とも言える。

基本的にチャールズは現状を守ろうとする立場でエリックは現状を変えようとする立場。これは二人の生まれ育った環境の違いに依る事が大きく、「人間」や「ミュータント」と言った領域を超え、この世界に生きていく事の困難さそのものを示していると言える。

 

これまでの作品ではミュータントにはマイノリティの問題があり、エリックがブラザーフッドを率いて人間を攻撃してもそれは「マイノリティからの反撃」と言った側面があった。しかし、本作でヘルファイア・クラブを率いるショウにはマイノリティ問題は無く、「進化した人間」として、旧人類を滅ぼさんとする強敵として描かれていた。それによって本作は「マジョリティとマイノリティ」以外に「新種の脅威」が描かれる事となり、旧三部作での世間のミュータントに対する見方がどのように形成されたのか分かる作りになっている。

 

本作はキューバ危機の裏側を描いていて、この時点までは東西両陣営が争っていて、チャールズが言うようにミュータントが公の存在になっても同じ西側所属の存在としてソビエトを始めとする東側陣営と戦う事となっていた。これは本作より少し後の時代を描いた『X-MEN ZERO』でもそうで、ストライカー個人にミュータントに対する恨みはあってもアメリカ軍はミュータントも一応は自分達の味方と言う認識があった。しかしこれがソビエト崩壊による東西冷戦の終結とミュータントの増加により、21世紀には人間とミュータントの対立構造が出来てしまう。(それを描いたのが旧三部作や『フューチャー&パスト』)

 

歴史的な大事件の裏で進行していた陰謀と言うイベントを軸に巨悪ヘルファイア・クラブに若きミュータント達が訓練して挑むと言う成長物語やマイノリティやアイデンティティと言った人間ドラマを展開しつつ、ミュータントの能力を駆使した迫力のバトルもあるとX-MENシリーズの中でもバランスが良くて完成度の高い作品。