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shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『マン・オブ・スティール』(2013年公開)

『マン・オブ・スティール』(MAN OF STEEL)

2013年6月14日アメリカ公開

監督 ザック・スナイダー

脚本 デヴィッド・S・ゴイヤー

 

DCフィルムズ第1弾。

スーパーマンシリーズをリブートしてスーパーマンの物語を一から始めている。

 

本作は様々な人物の視点が入れ混じっている上、時系列の入れ替えもあって複雑な作りになっている。また、リブート作品でありながらスーパーマンシリーズの基礎知識があった方が話を理解しやすい部分もあり、初見ではちょっととっつきにくい部分がある。

 

まずは全ての始まりとなったクリプトン星の話。

これまでのスーパーマンシリーズではクリプトン星の技術を地球の技術と全く違うものにする事で神秘的な雰囲気を出していた。全ての技術がクリスタルによって行われるや『スーパーガール』でクリプトン星の技術が地球の魔術と似たものとして演出されていた辺りにそれが出ている。

それが本作では地球の技術を遥かに進歩させたものと言う演出になっている。地球と全く違うものではなくて、現在の地球の先にあるものと言う描写になっている。神話的要素と科学的解釈を混ぜ合わせた部分は『マトリックス』を思わせるものがあり、本作は『マトリックス』等を経て再解釈されたスーパーマンシリーズと見る事が出来る。

 

本作には多くのエピソードが交錯しているが、その一つがジョー=エルとゾッド将軍の物語。

発展の先にある滅亡を迎えようとするクリプトン星にあって、ジョー=エルは「命を生み出す」と言う禁忌を、ゾッド将軍は「命を奪う」と言う禁忌を犯す。結果、ジョー=エルはゾッド将軍に殺され、そのゾッド将軍もファントム・ゾーンへと追放されてしまう。

そしてクリプトン星が滅亡して舞台は地球へ。ジョー=エルとゾッド将軍はコデックスを使ってクリプトン星を再興すると言う目的は同じだが、ゾッド将軍は地球人を滅亡させてクリプトン星人のみの星を作ろうとし、ジョー=エルは地球人とクリプトン星人の共存を目指していた。そしてジョー=エルは息子カル=エルを地球人とクリプトン星人の懸け橋となるようにし、ゾッド将軍は地球の大気を改造して地球人を皆殺しにしようとする。

最終的にカル=エルは地球人と力を合わせてゾッド将軍の野望を打ち砕くが、ゾッド将軍はカル=エルの心に傷を負わせる事で両者はある意味で痛み分けのような形に終わっている。

 

次のエピソードはカル=エルことクラーク・ケントことスーパーマンの物語。

地球で生きる事になるカル=エルに対して、ジョー=エルは救世主になると言うが、ララ・ロー=ヴァンは迫害されると心配する。そしてクリプトン星が滅亡してカル=エルが地球に辿り着いた直後、大人になったカル=エルことクラーク・ケントが迫害を恐れ人目を忍びながら放浪している姿が描かれる。

ここで少年時代のエピソードが出てきて、クラーク・ケントがどうして人目を忍ぶようになったのかが語られる。また、その中で今は迫害される存在だがやがて人々を導く存在になるであろう事も示唆されている。

 

クラーク・ケント父親であるジョナサン・ケントはいわば「人間時代の父親」であり、それが「人間は超人を恐れる」「正体を明かす危険を冒すなら見捨てた方が正しいとも言える」と言った「人間として人間社会の中で生きていく術」を説いた発言に繋がる。ジョナサン・ケントはハリケーンに巻き込まれた際、クラークの手助けを拒否してそのまま死を選ぶ。それは「超人がいない状態では自分はここで死ぬであろう」であり「クラークが普通の人間であったならここで父親を助けられないのは当然である」と考えたからである。

「人間時代の父親」であるジョナサンの死後、クラークは旅に出て、その果てにジョー=エルの意識と出会う。ジョー=エルは「超人時代の父親」であり、ここでクラークはクリプトン星のスーツに身を包み、その能力を存分に発揮するようになる。こうしてカル=エルは人間クラーク・ケントの時代を経て超人スーパーマンとして生きる事となった。

 

ロイス・レインの今回の役割は「地球人とクリプトン星人の懸け橋」となる事。その為、彼女はすぐにスーパーマンの正体を知り、以後は彼の為に行動する事になる。また、スーパーマンの正体を最初に知った事で彼女はクリプトン星人の秘密により深く入る事が出来、地球人の中で最もクリプトン星人について知る人物となった。

 

ホワイト編集長を始めとするデイリー・プラネット関係者は「超人達の戦いに巻き込まれた一般人」と言う役割。

こうしてデイリー・プラネットはスーパーマン本人であるクラーク・ケント、スーパーマンの正体を知っていて共に戦ったロイス、スーパーマンの正体を知らず戦いの被害を受けたホワイト編集長と言う三つの立場の人間が揃った事になる。

 

本作で特筆すべきはやはり戦闘シーン。『マトリックス』で漫画やアニメのような高速戦闘も実写で描く事が可能と言う事が証明されたが、本作はそれをさらに推し進めた形となり、まさに「超人」と言うべき超絶バトルがこれでもかと描かれている。ここまでして次の『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』でバットマンはスーパーマンと戦えるのかと思わず心配してしまうレベル。

 

「スーパーマン」の名付けシーンはしっかりと描いてほしかった。ああいう名前の出し方をするのならいっそ本作では「スーパーマン」の呼称は出さず「マン・オブ・スティール」で貫いてほしかった。

 

本作は色々と問題点もあるが、おそらくその理由の一つは「次の作品でバットマンとの共演をしなければいけないので、本作のみでスーパーマンの話を終えなければいけなかった」になると思う。

かつての『Ⅰ』と『Ⅱ』のようにスーパーマンの誕生からゾッド将軍との決着までを描くとなれば本作1作のみでは時間が足りない。そこで本作ではクリプトン星での話を終えるとすぐに大人になったクラークの放浪記に移り、少年時代のエピソードは全て回想シーンで必要最低限に抑えられた。その後も、クラークがジョー=エルと出会ってスーパーマンスーツを手に入れた直後にゾッド将軍が襲来して決戦を始めている。かつての『Ⅰ』と『Ⅱ』にあったようなスーパーマンが人々を助けたりクラークがちょっとドジを踏みながら仕事をすると言う日常シーンをごっそりとカットして、メインストーリーのみで作品を構成しているのだ。それでも本作は143分と言う長時間の作品となってしまっている。

今後の公開スケジュールを見ると、マーベル・シネマティック・ユニバースに比べてDCフィルムズはキャラが集結するのが早いので、それに間に合わせる為に本作はかなり窮屈な作りになってしまったのだと考えられる。