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ウルトラ38番目の弟

ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『スパイダーマン3』(2007年公開)

スパイダーマン

スパイダーマン3

2007年5月4日アメリカ公開

監督 サム・ライミ

脚本 サム・ライミ アイヴァン・ライミ アルヴィン・サージェント

 

サム・ライミ監督のスパイダーマンシリーズ3部作の完結編。

人気が出てシリーズが進むと色々な要素が盛り込まれる事になるんだなと言う事が分かる作品。正直言うと、もう少し取り上げるものを絞ってほしかった。でも、描く事が多い中、この分量をよく纏められたなぁとも思う作品。

 

最初はスクールカーストの最下層にいたピーターだったが、蜘蛛の力を得た事で皆のヒーロー・スパイダーマンになっていくと言うのが1作目の話。しかし、ピーターは自分がスパイダーマンである事を名乗れず、MJとも距離を置く事になったのだが、続く2作目では列車の乗客はスパイダーマンの正体を知って尚それを守ろうとしたし、MJもピーターがスパイダーマンである事を知りながら共に生きていこうと誓った。全てが順風満帆になったと思われたのが3作目である本作序盤の話。

しかし、全てが順調に行った事でピーターは調子に乗ってしまう。その兆候は今回の映画の前半で既に見えていたが、ブラック・スパイダーマンになって負の側面が強くなってしまった事でいよいよ取り返しのつかない領域に達してしまう。

 

ブラック・スパイダーマンになったピーターの行動はベン伯父さんの仇を探したりMJと喧嘩したりハリーと戦ったりとブラック・スパイダーマンになる前のピーターとあまり変わりは無い。しかし、リミットが外れたと言うか、その行動がとんでもない領域にまで行ってしまうのだ。

ベン伯父さんの敵討ちをしようとしたのは1作目にもあったがあの時点では犯人の殺害まではするつもりは無かった。しかし、本作では明確にマルコを殺害するつもりで戦ったし、その事を悪とは考えていなかった。しかも、マルコを見付ける為にその他の事件は全て切り捨てていた。つまり、マルコ殺害を優先して他の困っている人達を見捨てたのだ。

不仲になったMJへの復讐も実にえげつない事になっていて、ブロードウェイの主役を降ろされてアルバイトで働く事になったMJの前に他の女性を連れてこれ見よがしに見せつけて恥をかかせようとした。

ハリーに対しても父ノーマンはハリーの事を恥ずべき息子だと思っていたと言ってハリーの心を折り、パンプキンボムを投げ返すと言う明らかにハリーの命を奪う行為をしている。

いつものピーターやスパイダーマンの行為を過激化させたのがブラック・スパイダーマンであり、その存在はヒーローの持つ過激さを炙り出す事となった。

 

1作目から続くピーターとMJの話だが、初めて会ったMJを「天使」と表現した事からも分かるようにピーターはMJの事を神聖視している。自分の理想をMJに押しつけているとも言える。しかし、MJは実際は天使ではなく一人の人間である。このギャップがずっと続いていて、いよいよ噴き出したのが本作。おそらくだがMJは自分の事を天使と思わず一人の女性として見てほしかったのだと思うが、ピーターはそれに気付く事が出来なかった。愛や憧れの反対は憎悪。ブラック・スパイダーマンになったピーターはMJへの愛や憧れが破れるとそれを憎悪と言う攻撃に転じてMJを苦しめる事になる。

 

本作ではいよいよピーターとハリーの戦いが始まる。

ハリーは優秀だった父親に対するコンプレックスがあり、その父親は自分よりピーターを目にかけていた事から、ハリーはピーターに対してもある種のコンプレックスを抱いていた。

ハリーは見かけと違って内向的と言うか、コンプレックスを抱いている父親やピーターと直接戦う事をしていなかった。それがようやく出来るようになったのは2作目での事。父親スパイダーマンに殺され、そのスパイダーマンの正体をピーターが隠していると言う「ハリーが怒っても当然」と言う大義名分が出来てからである。そしてピーターこそがスパイダーマンと判明して本作でようやくハリーはピーターと直接戦う事となる。

本作はそんなハリーのコンプレックスを壊す事が行われる。ブラック・スパイダーマンとなったピーターはノーマンはハリーの事を恥ずべき息子だと思っていたと告げて、ハリーが今まで抱いていた父に対する恐怖をえぐり出し、さらにピーターとオズボーン家の執事によって偉大な父ノーマンは犯罪者であった事が告げられた。

自分は父に見限られていて、その父も実は恥ずべき人間であったとし、ハリーのファザーコンプレックスは無残な形でズタズタにされた。しかし、ここで父へのわだかまりを捨てられた事でハリーは純粋に友達であるピーターやMJの為に戦う事が出来たとも言える。

 

今回の敵キャラはハリーが変身するニューゴブリンの他にサンドマンとヴェノムがいる。まずはサンドマンについて。

1作目ではベン伯父さんと言う立派な父親が物語の軸となっていて、それに対して駄目な父親としてノーマンが配置されていた。そして本作に登場するサンドマンことマルコも駄目な父親として描かれている。娘とのやり取りは泣けるし、演じるトーマス・ヘイデン・チャーチの哀愁を感じさせる演技は素晴らしかったのだが、冷静になって見ると弁護の余地が無い身勝手さが全編に亘って描かれている。こう言ってはいけないのだが、基本的にマルコの行動は我が身かわいさであって、その為に見ず知らずの多くの人を平気で傷付けている。最後のベン伯父さん殺害の真相を語る場面も「ベンの遺族に許してもらなくても良い。ただ真相を知ってほしかった」と語っているが、それはマルコ自身の心にケリは付くかもしれないが、それを聞かされるピーターの気持ちは考えたのかとツッコみたくなる。

自分の身勝手さで多くの人を不幸にしたマルコと言う存在は正しい道を示す事で多くの人を救う事になったベン伯父さんと対比されている。また、駄目な父親像としてノーマンと共通点があり、そのマルコが変身したサンドマンをハリーが倒すとする事で、間接的にハリーのファザーコンプレックスの解消が行われたとも見える。(ハリーはサンドマンの事情を知らないので、これはあくまで物語の構図としてハリーが駄目な父親を倒したと言う見方も出来ると言う話になるが)

 

ピーターにシンビオートが寄生した事で誕生したブラック・スパイダーマンはピーターやスパイダーマンの負の側面を増大させたものだった。途中でその危険を恐れたピーターはシンビオートと分離するも、シンビオートは新たな宿主としてエディに目を付ける。

エディ自体、ピーターと共通項が多い人物である。スパイダーマンが犯罪を犯したと言う捏造写真をピーターに暴かれて失職するが、そのピーターだって自作自演でスパイダーマンの活躍写真を撮っていたので、マスコミとしての倫理観としては実はどっちもどっち。本作はスパイダーマンが主役なのでスパイダーマンの活躍を肯定するピーターが善で否定するエディが悪となっているが、もしピーターの自作自演による活躍写真のエピソードをスパイダーマンではない悪人でやったと考えたら、ピーターの行動の問題点が分かると思う。

エディは教会に行って神にピーターの死を望み、シンビオートと合体してヴェノムになった後は自らの手でピーターを殺害しようとした。元々はお前が捏造写真を撮るからだとツッコミたいところだが、実はエディは捏造写真に関してはその後特に言及していない。エディが恥をかかされたと言うのはあくまでピーターがグウェンとデートをした事を指している。エディからすればピーターによって失職した上、自分の彼女も取られるとは、まさに死体蹴りを受けた感じだったのだろう。ブラック・スパイダーマンとなったピーターが自分の行いでどれだけの人を傷付けるのか分からなくなり、結果的に新たな火種を生み出してしまったと言える。

最終的にピーターはエディからシンビオートを分離させてエディを救おうとするが、力を捨てる事が出来なかったエディはシンビオートと運命を共にする事となってしまう。「大いなる力には大いなる責任が伴う」とはベン伯父さんの言葉だが、エディはその大いなる力に飲み込まれてしまったと言える。

 

今回も編集長は絶好調!

怒ったり飲む薬の扱いを間違ったりしたら秘書にブザーを鳴らされる場面の「thank you」の言い方が最高すぎる!

その他にもクライマックスでの戦いを写真に収めようと思ったらカメラを持っていた女の子にボラれる等、年下の女の子にあしらわれる姿が面白い。

 

最初はモテないオタク少年と言う感じだったピーターだったがいつのまにかMJにグウェンに秘書のベティに大家の娘のアースラにとモテモテになっていて驚く。これが主人公補正と言うやつなのか?

 

記憶を取り戻したハリーはピーターを精神的に追い詰めていく。この時のジェームズ・フランコの表情が実にいやらしくて良い。

 

何だかんだ言っても本作はクライマックスでのピーターとハリーの共闘が文句無しに熱い! 色々あってもこの場面を見れば許せてしまう。