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shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『スパイダーマン』(2002年公開)

スパイダーマン

スパイダーマン

2002年5月3日アメリカ公開

監督 サム・ライミ

脚本 デヴィッド・コープ

 

サム・ライミ監督のスパイダーマンシリーズ3部作の一本目。

日本でもスパイダーマンはスーパーマンバットマンと同じく高い知名度を誇るアメコミヒーローとなっているが、その知名度と人気を不動のものとしたシリーズと言える。

 

「大いなる力には大いなる責任が伴う」と言うのがスパイダーマンシリーズのテーマ。

スーパーマンは誕生時に父親から人々を正しい道に導くよう託されたし、バットマンは幼い時に殺された両親の敵討ちを決意すると、スーパーマンバットマンもその力をどのように使うのか最初からある程度決まっていた。しかし、スパイダーマンは力は得たがその力をどのように使えば良いのか試行錯誤していく事となり、それがスーパーマンバットマンに比べて若者であるスパイダーマンの特色の一つとなった。スパイダーマンシリーズはピーター・パーカーと言う一人の若者が紆余曲折を経て責任ある大人へと成長していく物語なのだ。

 

特別な蜘蛛に噛まれて超人となると言うのはアメコミ原作と共通だが、実はアメコミ原作では手首から蜘蛛の糸を発するのではなくてウェブシューターと言う小道具を使っているらしい。自分はアメコミ原作は読んでおらず映画版しか知らなかったのでこの話を聞いた時は驚いた。今回の敵であるグリーンゴブリンがアーマーやグライダーと言ったアイテムを駆使して戦うタイプだったので、対するスパイダーマンをアイテムを使わず身体能力で戦うタイプになったのかもしれない。

 

元々のピーターはスクールカーストの最下層に位置していたが、蜘蛛の力を身に付ける事でいじめっ子のフラッシュに喧嘩で勝つ。しかし、あまりにも人間離れした力にクラスメイトに「化け物」呼ばわりもされてしまう。その後、ピーターは格闘技で活躍する。ここではどんなに桁外れの強さを見せても化け物扱いはされずに賞賛を受けられるのだが正当な報酬を手に入れる事が出来なかった。それからベン伯父さんの死等を経て、ピーターは手に入れた力で街の人々を救っていき、ピーター自身もスパイダーマンの写真を撮る事で報酬を得る事が出来るようになった。そして、最初は新聞でネガティブな事も書かれていたが人助けを続けていくうちに多くの市民の理解を得ていく事となった。

このように本作では最初は何も持っていなかったピーターと言う一人のいじめられっこがスパイダーマンになる事で街の英雄へと変わっていく過程が描かれている。肉体変化と言う恐ろしい要素を孕んでいながらあまりそう言った怖さが感じられなかったのはこのハッピーな展開があったからであろう。

とは言え、全てが順風満帆かと言えばそうではなく、ピーターが特別な力を手に入れた事でベン伯父さんは死ぬ事になり、メイ伯母さんもグリーンゴブリンに襲われ、ノーマン・オズボーンを敵対の末に死なせる事になり、やがてメリー・ジェーンやハリー・オズボーンとの間に亀裂が入る事になる。

 

今回の敵であるグリーンゴブリンことノーマンは「内に秘めていた狂気が解放される」「高笑いを上げながら小道具を駆使して犯罪を犯していく」「いい年をした大人なのに子供っぽさを見せる」等の部分が『バットマン』のジョーカーを思わせる。ただし、ジョーカーの場合は常にマフィアのボスとして動いていて、子供っぽい振る舞いを見せても軸はちゃんとした大人であった。それに対してノーマンは「精神が子供のまま大人になってしまった」人物であった。気に入らない事があれば癇癪を起こし、玩具を使って暴れ回る。感謝祭でのお食事会の場面などはまさに大きな体をした子供であった。

ノーマンは実の息子であるハリーよりピーターの方を気に入っていたが、それも息子の問題から目を背け、その代わりに自分と気が合いそうなピーターと話をしているだけであった。スパイダーマンの正体やハリーとピーターとMJの関係を知った後は息子の友達相手に大人気なく本気で襲いかかり、死に間際に自分の醜態を息子に知らせないでほしいと言い残した事でピーターを苦悩させる事になる。結局のところ、彼は最後まで大人としての責任を何一つ果たせないまま死んでしまうのであった。そして大人になれなかった親の尻拭いで息子達は色々と苦悩する事になる。

 

ピーターは内気で引っ込み思案ないじめられっ子となっていて、そのピーターの憧れとしてMJは正反対な輝ける存在として描写されている。輝けると言うよりは派手なと言った方が正しいか。どちらかと言うとケバケバしい感じになってしまっているのだが、ピーターは自分とはまるきり違う世界の女性に憧れを抱いたのかもしれない。日本で言ったら、オタク男子がリア充女子に惚れたと言う感じ。

 

さて、そのMJだがどうにも評判が良くない。一番の理由は色々な男性の間をフラフラ動いた事であろうか。

家庭のシーンで分かるようにMJは暴力を振るう父親との仲が良くなかった。その割にはフラッシュと言う父親と似たタイプの人間と付き合ってしまうあたりに彼女の業の深さを感じる。その後はハリーと付き合う事になるが、ハリーもMJに色々と口出ししているので、暴力を振るう振るわないの差はあるが、こちらもあまり良い相手とは言えない。

上の話でピーターは自分とは違う世界にいるMJに憧れていたと書いたが、実際のMJはピーターのお隣さんで、ニューヨークに出た時も仕事は上手くいかずバイトの日々であった。本来ならピーターと同じ「下の世界」の人間なのだが、MJはそこから「上の世界」に行こうともがいていた。フラッシュはスクールカーストでは上位だったし、ハリーは大企業の御曹司、その次に惚れるスパイダーマンは街の英雄と、MJは常に自分より上の存在に惚れて付き合おうとする。そして途中で無理になると次の相手に身を委ねてしまう。本作のMJは無意識のファザーコンプレックスによって迷走していたと言える。

ただ、まぁ、MJのイメージが悪いのもよく分かる。展開上の都合とは言え、メイ伯母さんが襲われた直後にメイ伯母さんの病室でピーターに向かって自分はスパイダーマンに惚れている事を告白するわ、ノーマンの葬儀の直後にその墓地でハリーの親友であるピーターに告白してキスするわと、さすがに時と場所をわきまえろよとツッコみたくなる。

 

本作は親子関係が一つのテーマとなっているが、もう一つ「上の世界と下の世界」と言うテーマもある。ピーターから見れば自分は下の世界の人間でMJは上の世界の人間。でも本当はピーターもMJも下の世界の人間で、MJはハリーと付き合うもハリーが自分とは違う上の世界の人間であると感じてしまう事となる。

一方、ノーマンが正体であるグリーンゴブリンは自分もスパイダーマンも特別な上の世界の人間で他の下の世界の人間は自分達を支える為の存在と言うが、ピーターが正体であるスパイダーマンはその言葉を肯定しなかった。ここでスパイダーマンが自身を下の世界の人間とした事でスパイダーマンは「君の街のスパイダーマン」となる事が出来たと言える。

 

本作はキャスティングが実に素晴らしい。ピーターを演じるトビー・マグワイアは映画前半で大人しい青年の内に秘める闇の部分をセリフ無しで見せていたし、ノーマンを演じるウィレム・デフォーインパクトは抜群である。ハリーを演じるジェームズ・フランコの外見に似合わない脆くて苦悩する青年も良かった。そしてなんと言っても編集長を演じたJ・K・シモンズ! 早口でまくし立てているのだがその喋り方と言うかテンポが実に心地良くてずっと聞き続けたいと思う喋りであった。