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ウルトラ38番目の弟

ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『ダークナイト』(2008年公開)

バットマン

ダークナイト

2008年7月18日アメリカ公開

監督 クリストファー・ノーラン

脚本 クリストファー・ノーラン ジョナサン・ノーラン

 

クリストファー・ノーラン監督によるダークナイト3部作の2本目。

 

とにもかくにもジョーカーを演じたヒース・レジャーのキレまくっている演技が印象に残る作品。これまでのバットマンシリーズの映画にはいなかったタイプで新時代のバットマンを印象付ける事となった。

 

ティム・バートンが関わった『バットマン』『リターンズ』『フォーエヴァー』のブルース・ウェインは自分の両親の仇であるジョーカーを倒した後もバットマンとして街の悪人と戦い続けた。『フォーエヴァー』でブルース自身が語っているが、両親の仇を討った後も新たな敵を探すようになる等、バットマンとして誰かを倒す事に囚われてしまったのだ。

ダークナイト3部作のブルースも両親の仇に関しては『ビギンズ』で果たされたと言って良い。しかし、その後もブルースはバットマンとして街の悪人と戦い続けている。ダークナイト3部作ではブルースの父親トーマス・ウェインが街を救おうとしていた事が語られていて、ティム・バートン監督とジョエル・シュマッカー監督のバットマンシリーズに比べてダークナイト3部作のブルースは父親の遺志を継いでゴッサムシティを守ろうとする姿勢が強く出ている。ダークナイト3部作のブルースはバットマンとして街を守る事に囚われてしまっていると言える。

街で悪人が悪事を働き、それをバットマンが退治するが、刑事のゴードンと検事のハービー・デントが悪人を捕らえる事に成功していくと、正体不明の人物バットマンが私刑を課す事の正当性が問われる事となる。

また、ブルースは街の通信を傍受するシステムを極秘に作り上げてしまう。これは悪人の居場所を発見する事に役立ち、実際にジョーカーを逮捕する決め手となるのだが、通信を傍受できると言う事は悪人ではない普通の街の人達も監視する事になる。それは街を支配する事とも言える。確かにバットマンが管理すればゴッサムシティは平和になるかもしれない。しかし、限られた存在が大勢の人間の在り方を決めてしまう。それは『ビギンズ』に登場した世界を裏から支配するラーズ・アル・グールと同じである。

この「ヒーローの負の側面」を描くのがノーラン作品らしいと言える。

 

本作の敵であるジョーカーはバットマンやゴードンやハービーを始めとする社会の表側に立つ者達のルールやモラルと言ったものを嘲笑い、それらルールやモラルに縛られている者の弱さを炙り出す。何をしでかすか分からない理解不能の恐怖を秘めていながら、ひょっとしたら自分の住む街の自分のすぐ隣にそのような狂気の人間がいるかもしれないと言う恐怖も醸し出している存在、それが本作のジョーカーなのだ。

 

本作のジョーカーと言えばその謎だらけなところから見えてくる「不特定多数の恐怖」と言うのがある。ティム・バートン監督の『バットマン』に登場したジョーカーも怖かったが、マフィアと言う存在が身近に感じられなければ作り物のキャラクターと感じるところがある。しかし、本作のジョーカーは出自は不明。しかし、バットマンがいなければ単なるこそ泥だったみたいな説明があるので、その辺の街中にいる奴らがいきなり牙を剥いたと言う感じがして、通り魔事件やテロ等が頻発する現在ではこちらの方が身近な恐怖を感じるところがある。

 

その謎だらけなところが魅力的な本作のジョーカーだが、それらについては他のブログ等でも色々書かれているので、ここではあえて本作のジョーカーの目的が俗っぽかったらと言う事でちょっと考えてみたいと思う。

本作のジョーカーの目的は明確には語られていないが劇中に「俺がボスだ」と言うセリフがある。これをそのままの意味で捉えれば「ゴッサムシティを牛耳る」と言う他の悪人達と同じ目的だと考えられる。そうなると本作のジョーカーの行動は「ゴッサムシティを牛耳る為」の行動であったと言える。

街を牛耳るのに必要なのは何か? まずは資金であろう。これに関しては冒頭いきなり組織の銀行を襲撃して金を奪っている。そして、バットマンに手を焼くマフィア達の前に現れてバットマンを始末すればラウが手に入れた組織の金の半分を寄こせと交渉している。その後、実際にラウを捕らえて組織の金も手に入れるが、その金をいきなり燃やしてしまっている。しかし、この時のジョーカーは「燃やすのは半分だけ」と言っているので、おそらくマフィアの取り分となるはずの金を燃やしたのだろう。これは自分以外に金が行かないようにする為で、これによってジョーカーはゴッサムシティの裏社会で最も多くの金を使える男となった。

マフィアを手玉に取りつつ、ジョーカーは次に表社会に出て一般市民に恐怖を与える事を始める。マスコミを使った劇場型犯罪で街の人間全てを巻き込み、いつどこで誰が殺されるか分からない状況を作り、一般市民が自分に対して恐怖を抱くようにする事で一般市民を操りやすくした。事実、これまで街の治安を維持してきたバットマンを人々は糾弾するようになり、病院爆破を阻止する為にリースを殺そうとした。

金を手に入れ、人々に恐怖を植え付ける事でジョーカーはゴッサムシティの裏社会も表社会も手中に収めようとした。面白いのは実はバットマンことブルースもジョーカーと同じで、資産家として資金は豊富にあり、悪人に恐怖を植え付けていっていた。そう言う点ではバットマンジョーカーは表裏一体だったと言える。

 

ゴッサムシティを手中に収めていくジョーカーだがそれは自分と敵対する存在が増えていく事も意味している。そこでジョーカーは自分の身の安全も同時に図っている。物語後半でハービーを悪の道に引きずり込んでいるが、それはハービーを検事から引きずりおろす為。一度復讐で人を殺してしまったら最後、もうハービーが正義の検事として表舞台で活躍する事は出来ない。レイチェルも既に殺害しているので、ハービーを消せばゴッサムシティの検事は恐れるに足りないとなる。

本作のジョーカーは謎だらけであるが、ジョーカーがハービーやゴッサム市警本部長を攻撃できたのはその素性が明らかで家族などと言った弱点があったから。そこでジョーカーは自分の正体に関わる一切を消し去る事で相手が自分を攻撃できる材料を無くしている。

ジョーカーはマフィアとの取引でバットマンを倒す事を約束するが実際にゴッサムシティの裏社会を牛耳るとバットマンを殺さないとして逆にバットマンの正体を暴こうとしたリースが殺されるように仕向けている。これはバットマンと言う存在がいなければジョーカーと言う存在も必要とされないからだと考えられる。街の悪人を倒していくバットマンだが、相手がスケアクロウジョーカーならともかく、ジョー・チルのような人間相手にバットマンがフル装備で攻撃したらさすがにやりすぎな印象を受ける。実際にはスケアクロウジョーカーとジョー・チルの間に何の違いがあるんだと問われたら困るが、バットマンのような異常な存在が必要とされるのはジョーカーのような異常な存在がいるからであり、ジョーカーのような存在がいない社会ではバットマンの存在こそ忌避されるものとなってしまうのだ。それと同じでジョーカーのような異常な存在が必要とされるのはバットマンのような異常な存在がいるからであり、事実、マフィアは自分達ではバットマンを倒せないと理解するとジョーカーに協力を要請している。ジョーカーは危険な奴だが、ジョーカーがバットマンを倒してくれないと、バットマンによって自分達の身が亡びる。その危機感がマフィアをジョーカーに頼らせた。裏を返せば、バットマンがいなくなれば、ジョーカーは単なる危険人物として忌避すべきものとなる。そうなればマフィア達は力を合わせてジョーカーを消しに来るだろう。バットマンと言う存在を残す事で、ジョーカーはマフィアが自分を消しに来ないようにしたのだ。

 

こうして見ると本作は元は単なるこそ泥だった男が街を牛耳る為に非常に危険な綱渡りをしながらのし上がっていく物語に見え、あのメイクの下では実はドキドキしながらハッタリをかまし続けていたのかなと思うと、また違ったジョーカー像が見えてきて面白い。

 

本作に登場する重要人物の一人であるハービー・デントことトゥーフェイスは『フォーエヴァー』ではあまり描かれなかった「有能な検事が内に秘めた狂気をさらけ出した」と言う側面を前面に押し出している。それはジョーカーが語る人間像を証明する事になるのだが、そのジョーカーによる最後の計画がハービーが捕らえた犯罪者によって失敗すると言うのが面白い。

このフェリーのシーンがあるか無いかで自分の本作に対する評価はかなり変わってくる。

 

ダークナイト3部作のバットマンは基本的に「自分は殺人は犯さない」と言うルールがあり、それが本作を成り立たせている。ぶっちゃけると、ティム・バートン監督版のバットマンは悪人に対して容赦をしないので本作のジョーカー相手でもあっさりと殺して終わらせちゃう事が出来るんじゃないかと思う。ここは同じバットマンでも作品によってキャラクター解釈が違っている面白さと言える。