読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年公開)

ガメラ2 レギオン襲来』

1996年7月13日公開

監督 金子修介

特技監督 樋口真嗣

脚本 伊藤和典

 

平成ガメラシリーズ第2弾。

 

前作は昭和ガメラシリーズの人気怪獣であったギャオスがリメイクされたが今回はレギオンと言う新怪獣が登場している。レギオンはデザイン、設定、戦い方とこれまでにない斬新なもので90年代後期を代表する怪獣の一体となっている。個人的には赤い触手がガメラシリーズらしい「痛さの伝わる攻撃」でありながら今までに無い新しさもあって好きだ。

 

ただし、レギオンの名付けエピソードはちょっと雑だった。「我が名はレギオン」のセリフはカッコいいけれど、一隊員が怪獣の姿を見てふと頭に思い浮かんだ名前がいつの間にか正式採用されていたと言うのはちょっと無理がある。どこかでレギオンの名前が正式採用される場面が欲しかった。ここは『ガメラ対ギャオス』で英一少年が「ギャオーと鳴くからギャオスだよ!」とあまりにしつこく言うので大人達が英一少年に気を使ってギャオスと呼ぶ事にしたの方が自然な流れだったかも。

 

90年代前半は平成ゴジラや『ウルトラマンパワード』のように「昭和の怪獣を平成の感覚で捉え直した怪獣」が多かったが、90年代後半に入るとそれらを土台にして、本作のレギオンや次回作のイリス、平成モスラダガーラ、平成ウルトラ三部作の怪獣達と言った「平成ならではの新しい怪獣」が作り出されるようになった。

21世紀に入って再び「20世紀の怪獣を21世紀の感覚で捉え直した怪獣」が多くなったが、この辺りでそれらを土台にして「21世紀ならではの新しい怪獣」と言うのが次々に作り出されていってほしいと思う。(最近だと『ウルトラマンX』のグリーザは20世紀には出てこない新しい怪獣だったと思う)

 

本作は前作以上にドキュメンタリータッチが強くなっている。

ここで挙げたいのは自衛隊に所属している渡良瀬が主人公だと言う事。怪獣作品には自衛隊が登場する事が多いが、実際に自衛隊員が主人公になる事は少ない。大抵はマスコミや学者や子供が主人公で、彼らは怪獣事件と遭遇する事で自衛隊と関わるようになり、その作戦の行方を見守る事になる。本作で言えば穂波がその位置に当たる。

しかし、怪獣事件をドキュメンタリータッチで描く場合、最後はどうしても怪獣と戦う自衛隊中心の展開になる。しかし、マスコミや学者や子供が自衛隊の作戦に最後まで同行するのは無理がある。同行させるには色々と理屈付けが必要となってくるが、そうなると作られたドラマの感じが出てドキュメンタリー的な感じが弱まってしまう。本作はそれを自衛隊の渡良瀬を主人公にする事で終盤ギリギリまでドキュメンタリータッチを展開している。(そして穂波は途中で自衛隊と行動を別にしていて、ガメラとレギオンの最終決戦の場にはいない)

 

本作で面白いのは終盤ギリギリまであったドキュメンタリータッチがクライマックスで一気に崩れ去ってしまうところ。すなわちガメラ復活の場面である。

レギオン関係は徹底的に理屈付けされてリアリティが追及されているのだが、それがもたらした感想は「これ、人間には勝ち目が無いのでは…?」であった。自衛隊の人は頑張っていたが、正直言って、どうやってもレギオンを倒せるイメージが沸かなかったし、事実、倒す手段は無かった。そこに出てくるヒーローがガメラである。

仙台でのレギオンとの戦いで仮死状態に陥ったガメラは浅黄や穂波や子供達の祈りを受けて復活する。どうして復活するのかは劇中では説明されていない。理屈の末に辿り着いた絶望を吹き飛ばすかのように、希望と言う気持ちと感情をもってガメラは復活する。

ガメラ復活後は理屈なんか関係無しに気持ちと感情で物語が進んでいく。子供達の希望を背負ったガメラは着陸するとそのまま滑り込みながら火球を吐くと言う問答無用にカッコ良いシーンを見せてくれて見ているこちらのテンションを上げてくる。その後、自衛隊ガメラを援護するようになるし、渡良瀬が送信所でソルジャーレギオンを撃ち倒す場面などはドキュメンタリータッチどこ吹く風な完全なヒーローの演出となっていた。

それまでドキュメンタリータッチで理屈を重視した怪獣作品だったのが、ガメラ復活後は気持ちや感情と言ったエモーションを重視したヒーロー作品へと方向転換し、そのエモーション重視のヒーロー作品にドキュメンタリータッチであった自衛隊の人達が飲み込まれていく作りになっている。冷静に考えると、地球のエネルギーを集めて発射するウルティメイト・プラズマなんてそれまでの怪獣映画でもそうそう見られないメチャクチャな事をやっているのだ。

それまで慎重に積み重ねていった積み木を終盤で一気に崩すのはかなり勇気のいる事だと思うが、この大胆な方向転換がカタルシスに繋がっていて、映画として見た場合、正しい選択だったと言える。

自分はシミュレーション的なものやドキュメンタリータッチな怪獣作品が好きだけど、やはり最後は問答無用に盛り上がる展開が欲しいので、この映画の構成はメチャクチャ自分好みであった。

 

本作は前半の舞台が北海道なので『CREATIVE OFFICE CUE』の関係者が出演している。有名どころだと大泉洋さんが(鈴井貴之さんのミスで)ノンクレジットで出演している。これが縁なのか、この年の10月から放送が始まった『水曜どうでしょう』には平成ガメラの音楽が使われている。(と言うか、『水曜どうでしょう』の予告は平成ガメラが元ネタ)

 

本作は怪獣ファンからの評価が高く、日本SF大賞星雲賞も受賞しているが、配給収入はイマイチであった。平成ガメラを語る時、評価の高さに反して配給収入は低かった事が挙げられるが、おそらく「怪獣映画として完成され過ぎていた」のが理由かなと思う。

世の中には怪獣に興味が無い人がいるし、男の子だったら必ず怪獣に興味を示すかと言われたらそうとも言い切れないところがある。1954年に『ゴジラ』が公開されてから60年代と70年代の怪獣ブームまでは子供が最初に触れるコンテンツに必ず怪獣があったので、子供にとって怪獣は馴染みのあるものとなっていたのだが、80年代の冬の時代に新作が減った事で怪獣は子供にとって馴染みのあるものではなくなっていった。そんな中で作られた平成ゴジラは怪獣に当時の子供に馴染みのある要素を組み込んでいった。また、ゴジラシリーズで最高の配給収入を誇る『ゴジラVSモスラ』は怪獣に興味が無くても主人公達の離婚した家族の再生ドラマは見れるように作っている。簡単に言えば、怪獣に興味が無い人にも興味を引かせる要素を入れているのだ。

実はそれが平成ガメラでは弱い。怪獣作品として見た場合、特に1作目と2作目は無駄が少なくて高い完成度を誇っているが、では、怪獣に興味が無い人にこの作品を観てもらうにはどう説明すれば良いのかとなると困るところがある。怪獣作品として完成度が高くなればなるほどに敷居が高くなって見る人が限られてしまう。これは怪獣作品に限らず、ジャンル作品のジレンマだと言える。