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shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『マタンゴ』(1963年公開)

特撮

マタンゴ

1963年8月11日公開

監督 本多猪四郎

特技監督 円谷英二

脚本 木村武

 

これ、子供の時に見ていたらトラウマになっていただろうなぁ…。
 
自分が子供の時に見たゾンビ映画みたいな展開。
時期的にはどうなんだろう。当時の日本でゾンビ映画って定着していたのかな?
 
こういう無人島での極限状態が舞台となれば登場人物が大声を上げて罵り合うイメージがあるのだが、本作ではその展開になるまでかなりの時間が経っている。
遭難する前のヨットの場面では初参加の明子こそ場の雰囲気に馴染めていない感じだったが、それ以外はいつものメンバーと言う感じで仲が良いように見えている。その中でちょこちょこと「あ、これは後に争いの種になるな」と言う場面があるのだが、それでも決定的な衝突にはならず、なぁなぁでその場を流していっている。これは遭難して無人島に漂着した後もしばらく続き、「ひょっとして、極限状態なので気が合わない相手でも協力するのかな?」と思わせる描写もところどころ挟まれている。その微妙な状態が崩れるのがマタンゴ出現…ではなかったりするのが興味深い。この極限状態で怪物マタンゴが出たら緊張の糸が切れて大騒ぎになりそうなものなのだが、マタンゴを見た翌朝もその人達は黙々と朝食を食べているのだ。
では、この微妙な状態を崩すのは誰かと言ったら怪人マタンゴではなく、登場人物の中で唯一の庶民であるヨットマン助手の小山であった。彼が近くに女がいるのに手を出せない禁欲状態だから幻を見るだの、食料を手に入れたければ草をかじって雨の日でも海に出ろだのと叫ぶ事でようやく事態が動き出す。ぶっちゃけ、小山がいなければ話は進まなかったんじゃないかなと思うほど。
大学助教授の村井は助手で恋人の明子に「将来の事を考えたら彼らと付き合っていた方が良い」と自分が青年実業家の笠井達と付き合っている理由を述べている。裏ではギスギスとした人間関係があるのにそれを華やかな雰囲気で隠している関係なのだ。その華やかな雰囲気が遭難と無人島漂流で剥げ落ちたのにそれをそのまま演じている笠井達を小山は嘲笑って糾弾する。笠井の愛人である麻美が小説家の吉田と浮気しているは公然の秘密で劇中でも途中で麻美本人がそれを認めているのにそれが本格的に問題になるのは麻美と吉田の情事に小山が乱入するまで無かった。
 
こういう極限状態のドラマではいわゆる「良い子ちゃん」より「醜い人間」の方が面白い。面白いと言うか、人間ってこういう状態になるとこうなるよね…と言う感じになるので、極限状態になっても良い子である人間の方が共感しにくくなる。そう言うわけで本作では「良い子ちゃん」である村井と明子はあまり面白い場面が無い。
村井は主人公格でありながら劇中では意外と何もしていない。正確に言うと「物語を動かせなかった」のだ。村井は状況を改善する事も悪化させる事も出来ず、ただ周りの人間が一人ずつ脱落していくのを見届ける位置であった。「主人公になれなかった主人公」だったのだ。
そして明子も「ヒロインになれなかったヒロイン」である。彼女は物語において中心に立つ可能性を秘めていた。村井の恋人で、それを笠井が狙った事がヨット遭難の理由の一つとなり、吉田も麻美より明子の方が気に入っていると言っている。だが結局は劇中で男達による争奪戦が繰り広げられたのは麻美の方で、麻美と言う存在をきっかけに多くの男達は破滅へと転がっていった。
主人公とヒロインが物語を動かせなかった事で事態打開の目処が立たず、ただいつか来る破滅の結末を待つばかりと言う状況になってしまったのだ。(なので振り返って見ると村井より小山が主人公だった方が事態打開が出来たんじゃないのかなと思うところがあったりする)
 
マタンゴのキノコを食べた者は同じマタンゴになる。これは村井のように「人間は動物と違って理性がある」と考えている人には実に恐ろしい事態だ。理性を失った人間は既に人間として生きているとは言えない。とは言え、鳥も魚も寄り付かない無人島で生き延びるにはキノコを食べてマタンゴになるしかない。もし「理性などを失っても生き延びる事に価値がある」と考えた場合、マタンゴとして生きる事は絶望であるとは言い切れない。むしろ、あの極限状態でも生き残る事が出来る存在へと変異すると考えれば、マタンゴになる事は絶望ではなくて希望と言えるのかもしれない。そうなると、ラストで大勢のマタンゴが明子を連れ去ってキノコを食べさせたのも「マタンゴにして明子を生き延びらせる為」と見る事が出来、マタンゴは村井と明子を助ける為に銃で撃たれながらも二人を迎えに来たとも考えられる。
 
結局、村井は理性を捨てる事は出来ず、無人島を脱出して一人で東京に帰る。しかし話を信じてもらえずキチガイ扱いされて病院に収容され、キノコを食べなかったはずなのにマタンゴ化が始まってしまう。マタンゴになっても理性を捨てる事が出来ず、無人島のマタンゴ達とも東京の人間達とも共に生きる事が出来なくなった村井こそ本作で最も不幸な存在なのかもしれない。
 
ヨットが遭難する前の村井は東京で笠井達のグループに入って一緒に馬鹿騒ぎをしながら表面的な人間関係を築いた。そうしないと今後の人生設計に色々と支障が出るからだ。それと生き残る為に無人島でキノコを食べてマタンゴの仲間に入って一緒に薄ら笑いを浮かべるのと一体何が違うのだろうか?
そこのあなた、あなたも今現在いる場所で生き残る為に差し出されたものを食べて皆と一緒に薄ら笑いを浮かべていませんか?