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ウルトラ38番目の弟

ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『ゴジラVSデストロイア』(1995年公開)

ゴジラ

ゴジラVSデストロイア

1995年12月9日公開

監督 大河原孝夫

特技監督 川北紘一

脚本 大森一樹

 

平成VSシリーズ最終作。
ゴジラ』の映像が使われ、恵美子さんが再登場し、芹沢博士とオキシジェン・デストロイヤーについて語られ、『ゴジラ』関係以外ではスーパーXシリーズとしてスーパーXⅢが登場する等、過去の作品の設定が再登場してクライマックスとして盛り上がる作品。
 
昭和シリーズの後期もだったが、平成VSシリーズも後期に入るとゴジラの存在が当たり前になって来て、あまり怖さが無くなってきた。そこに来ての今回のバーニングゴジラは見た瞬間に「こいつはヤバい…!」と思わせる怖さがあった。
 
本作のゴジラはジュニアの後を追い、デストロイアとの戦いもジュニアの敵討ちと言う面が強い。ジュニアとの再会では手をせわしなく動かして嬉しそうなのが可愛い半面、この後のジュニアが殺される場面がより悲しくなる…。
 
最後のメルトダウンの場面は何度見ても泣ける…。
後にジュニアが新たなゴジラとして復活する前提だったとは言え、主役怪獣の死をここまではっきりと描くのはシリーズ作品としてはかなりの決断だったと思う。
 
ジュニアはゴジラザウルスとゴジラの中間と言う感じがして、なかなか新しい感じ。
あまり強調されていないが、三枝未希の悲鳴を聞いてデストロイアに反撃しているので、昭和シリーズ後期の完全に人間の味方になったゴジラの再現とも言える。
 
平成VSシリーズの後期は巨大怪獣に対抗して人間も巨大ロボットに乗り込んで戦うようになっていたので、街と言うステージで巨大怪獣同士が戦いを繰り広げるバトルゲームみたいな感じになっていたが、デストロイアは珍しく人間ほどの大きさで人々が住む街に潜んでいた。この辺り、久し振りに怪獣を「強い存在」ではなく「怖い存在」にしようとしているように見えた。
 
デストロイアはあのオキシジェン・デストロイヤーを持つ怪獣と言う触れ込みだったのだが、イマイチそれを活かせていなかった感じ。最後の炎が収束して完全体が姿を現したり、飛翔体が街の上空を飛ぶ場面等は良いのだが、全体的にデストロイアをどう扱うのかスタッフに迷いがあったように見られた。
 
ゴジラシリーズはゴジラと怪獣が戦うと言う形が確立されていたので、「ゴジラ死す!」の本作でも敵怪獣としてデストロイアが用意されたのだが、ゴジラメルトダウンで自ら死に向かっていく展開だったので、どうにもデストロイアを絡ませづらかった。それがデストロイアの劇中での扱い、それに関係する伊集院博士とゆかりの立ち位置の微妙さに繋がったように思える。(実は「ゴジラ死す!」と言う物語においてスーパーXⅢは必要な存在なのだが、デストロイアは物語から外してもあまり支障が無かったりする)
 
デストロイアは芹沢博士が死んだ場所から発見されているので、かつて悪魔の兵器を使ってゴジラを葬った芹沢博士の意志が今度は悪魔のような怪獣となって再びゴジラに死をもたらす為に現れたと言う感じだったら、デストロイアはもっとゴジラの死に絡めたのかなと思う。
 
でも、最終作で人間が怪獣を倒すと言うのも外せないので、そうなると、やはりデストロイアは人間に倒されるべきなのかな。う~ん。難しい…。
 
昭和シリーズも最初は社会の為に動く人が主人公として登場し、次に社会の為より自分の都合で動く人が主人公になった。(その人達も結局は社会の為に動くのだが) 『対ガイガン』や『対メガロ』ではマンガ家や個人レベルの科学者が登場し、さらに社会より個が強くなった。
平成VSシリーズも最初は自衛隊や科学者と言う社会を意識した人がメインで出て、途中からはルポライターやトレジャーハンターと言った自分の都合で動く人が現れ、Gフォースの隊員も社会の為と言うよりゴジラへの敵討ちや左遷させられた自分達の失地回復の為に戦う人が出てきた。社会より個を優先する流れになって来て、本作に登場した健吉はゴジラに関する研究は趣味と言う人物となった。(健吉がゴジラ対策本部に加わったのは三枝未希に近付けるからだった)
こうして見ると昭和シリーズでやった事を平成VSシリーズはあらかた再現したと言える。
 
平成VSシリーズを完結させる事で日本のゴジラシリーズを一度終わらせてハリウッド版にバトンタッチする為、過去のゴジラ作品の色々な要素を詰め込んだ一方、これまでに無かった要素もいくつか盛り込まれた。
それら新しい要素は後の平成ガメラや平成ウルトラにも見られるもので、本作は平成VSシリーズが確立させた90年代前半の怪獣作品の終わりと新たな怪獣像が作られる90年代後半の幕開けと言う時代の移り変わりを見せる作品となった。(それが劇中に見られる迷いや混乱の一因とも言える)
 
そして何度見ても思う。
現実にもスーパーXⅢがあったらなぁ…。