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shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『ゴジラVSメカゴジラ』(1993年公開)

ゴジラVSメカゴジラ

1993年12月11日公開

監督 大河原孝夫

特技監督 川北紘一

脚本 三村渉

 

当初はここで平成VSシリーズが終わる予定だった作品。これまで人類の敵として扱われていたゴジラに対して三枝未希が考えを改め、ラストシーンで「さよなら、ゴジラ…」と別れを告げる場面もある。
 
今回のメカゴジラはメカキングギドラを元に人類が作り上げたと言う設定。
昭和シリーズの侵略者は人類の未来の姿と言う解釈が出来、平成VSシリーズではそのものズバリ未来人が侵略者となったが、その未来人の技術を使って遂に人類はかつての侵略者のように機械のゴジラを作り上げてしまった。
 
ゴジラを始めとして、人類が「作ってしまった」怪獣は数多くいるが、現在の人類が「意図的に作り出した」怪獣は今回のメカゴジラが初めて。遂に人類は怪獣を自らの手で作り出すに至った。
 
ゴジラの逆襲』以降、ゴジラと怪獣(侵略者)が戦い、それに人類が加わっての三つ巴と言う構図が多かったが、今回は人類がメカゴジラを作ってゴジラにぶつけているので、人類とゴジラが戦い、それにラドンが加わっての三つ巴と言う構図になっている。
 
ゴジラと言う圧倒的な強さを持つ存在に対抗すべく作られた巨大ロボット!
途中で戦闘機と合体してパワーアップ!
全身から放たれる光線の数々!
伊福部昭さんの音楽とも合わさって本作のメカゴジラも問答無用に燃える!
 
昭和のメカゴジラは怪獣ぽかったが、本作のメカゴジラはスーパーXシリーズに連なる特殊戦闘機のイメージ。あえてあまり動かないのが逆に本作におけるメカゴジラらしさを出している。直立不動のまま浮上して距離を取りながら光線を発射すると言う戦法が印象的。
 
メカゴジラはメカキングギドラに使われた未来の技術が転用されているので、設定的にはスーパーXシリーズの流れはガルーダの方なのだろう。
ガルーダがメカゴジラと合体してスーパーメカゴジラになったのは『機動戦士Zガンダム』のスーパーガンダムを思い出した。ひょっとして、元ネタ?
 
ベビーはミニラの擬人化された可愛らしさとはまた違った動物的な可愛らしさがあった。めちゃくちゃ細かい動きに技術の進歩が見える。
 
本作の人類は機械のゴジラを作り、ゴジラのデータを集めて倒そうとし、ゴジラザウルスの赤ちゃんを檻の中に入れた。しかし、世の中には人類には制御しきれない存在がいて、最後にゴジラは機械では絶対にありえない奇跡を起こして人類の計画を全てぶち壊す!
 
今回のゴジラは同族のゴジラザウルスを求めていると言う観客が感情移入しやすい設定があり、劇中の三枝未希と同じく観客もゴジラに対する認識を改めるように作られている。ゴジラも表情豊かになり、最後の場面は優しい感じが伝わってきた。これは昭和中期の作品と同じ。
 
本作では地球には恐竜が栄えた時代と人間が栄えた時代があり、ゴジラやベビーは生まれてくる時代を間違えたばかりに色々と辛い目に遭うと語られた。これも観客がゴジラに感情移入する為の仕掛けの一つ。
 
どうして観客がゴジラに感情移入するように作ったかと言うと、人類が主役なのでゴジラに負けると言う事は主役側の敗北になるのだが、そこで観客をゴジラ側に感情移入させる事で主役の人類がゴジラに負けても観客がストレスを感じないようにしている。
よく考えたら主役側が負けたのにハッピーエンドに見える映画と言うのも珍しい。これがゴジラシリーズの面白いところ。
 
なんとなくだが、本作はこれまでに比べて戦闘におけるスピード感が増している感じがする。光線が増えて爆破や破壊も増えて、かなり派手な戦闘シーンになっている。どことなく『ドラゴンボール』っぽい印象。
当時は『ドラゴンボール』のヒットでバトル中心の作品が増えていたので、ゴジラシリーズもその流れに乗ったと言うところかな。その時代の子供達にヒットしている要素を組み込む事で平成VSシリーズはファミリー映画として定着したと言える。
 
でも、脚本に関しては強引と言うかかなり雑な感じを受ける。
結局、あの古代の植物のメロディーは何だったんだ?と言う感じだし。(『ゴジラ』で芹沢博士が決断する少女達の歌や『対メカゴジラ』のキングシーサーを目覚めさせる歌に当たるものだったんだろうが…)