shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『ゴジラVSビオランテ』(1989年公開)

ゴジラVSビオランテ

1989年12月16日公開

監督 大森一樹

特技監督 川北紘一

脚本 大森一樹

 

自分が一番好きな作品。
何故かと言うと、自分は6歳の時に見た『ゴジラ1984)』が怖くてトラウマになっていた。人間はゴジラを倒す事が出来ず、物凄く怖いゴジラが生きたままだと言うのが怖かったのだ。(帰巣本能云々は当時6歳の自分は理解できていなかった) そんなゴジラに対する恐怖が本作でスーパーX2がゴジラの放射熱線を跳ね返した瞬間に消し飛んだ! この場面が無かったら自分はゴジラシリーズを見続けていなかったかもしれない。当時11歳だったが子供の頃のトラウマは尾を引くもんなんだなと思う。なので自分にとってスーパーX2はヒーローなのだ!
 
前作の『ゴジラ1984)』が1954年版『ゴジラ』の続編を意識して作られ、本作も『ゴジラ1984)』の続編を意識した作りとなった事で平成VSシリーズは連続モノとなった。
 
本作は「対ビオランテと言うより対自衛隊だ」と言われる事があるが、本作におけるゴジラの敵を「ゴジラがきっかけで誕生したもの達」とすれば、ゴジラ細胞から誕生したビオランテと抗核バクテリアや対ゴジラ兵器として作られたスーパーXの他、三枝未希を始めとした超能力者やサンダーコントロールシステムも対ゴジラ用として予算が組まれた事を考えると「ゴジラがきっかけ」と言えるので、本作は「ゴジラがきっかけで誕生したもの達」がゴジラの前に次々と立ち塞がる話だったと言える。ビオランテはその中でトリを務めた存在なのだ。
そしてこれら「ゴジラがきっかけで誕生したもの達」には全て人間が関わっている。なので白神博士は最後に「本当の怪獣はこれらを作った人間です」と発言した。陳腐だろうがベタだろうが、このセリフが最後に来なければいけなかった映画だったのだ。
 
冒頭に前作のシーンを流す手法が『メカゴジラの逆襲』を思い出す。だったら英理加は桂で、白神博士は真船博士で、桐島は一之瀬かな? 一之瀬と違って桐島は白神博士の考えに同調しなかったが。
 
前作にあったシュミレーション的要素は若い隊員が遠隔操作でスーパーX2を操作する事でさらに推し進められた感じ。
 
黒木特佐と権藤一佐が「ゴジラが現れないと自分達が税金を喰う怪獣になっちまう」と言う会話をしているが、これを頭に入れて『VSデストロイア』での「これで我々の来年度の予算は0だ」を聞くと感慨深いものがある。黒木特佐は対ゴジラ予算がある中で生きてきた男だったのだ。つまり、ゴジラによって生かされていたとも言える、
 
平成VSシリーズは宇宙からの侵略者がいないので、代わりにバイオメジャーやサラジア公国が暗躍している。かつては宇宙人が怪獣を制御していたが、平成に入ってからは人間が怪獣を制御しようとする構図になった。
人間が対ゴジラ兵器やビオランテを作り、バイオメジャーはゴジラを人質に日本政府に脅しをかけると、ラストナレーションじゃないけれど、いつからこんな時代に生きるようになったんだろうと言うほどに人間が暴走を始めた感じがする。
 
黒木特佐はゴジラは核エネルギーを求めて原発を襲うと言っていたが本当はゴジラ細胞に惹かれて動いていたように見える。それならゴジラは名古屋じゃなくてサラジア公国がゴジラ細胞を隠し持っていた大阪に上陸したと考えられるし、若狭に行ったのもビオランテの存在を嗅ぎ取っていたからと考えられる。本当にゴジラ原発を狙っていたのならラストシーンは海に帰らずに原発を襲うはず。おそらくこれはビオランテが宇宙に行った事で地球上にゴジラ細胞が無くなったから海に帰ったのだと思う。
 
前作のゴジラはまだ昭和後期にあった親しみのあるゴジラ像から脱却しきれていない感じがあったが、本作では白目の無い眼等、造形面からも新しいゴジラ像を示せたと思う。
 
前作にあった「生物としてのゴジラ」と「怪獣としてのゴジラ」と言う二面性については「核を食べる遺伝子を持つゴジラ細胞」で上手く繋げた感じ。核を食べる遺伝子って何だよ!?と大人になった今ではツッコみたくなるが子供の時はこれで納得できた。
 
ビオランテはバイオ技術と言う新しい設定を組み込んだ怪獣でデザインもそれまでの怪獣には無かったもので斬新だった。ただしゴジラとの戦いでは演出を付けにくそうな感じでやや不完全燃焼。この問題点が次のキングギドラ復活に繋がったのだろう。
 
自分がこの作品を初めて見たのは11歳の時。今から四半世紀前。
子供の時に見て、四半世紀経って大人になって見ても面白い映画に巡り合えていたと言うのは実に幸せな事だったんだなと思う。