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ウルトラ38番目の弟

ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『ガメラ対大悪獣ギロン』(1969年公開)

ガメラ

ガメラ対大悪獣ギロン』

1969年3月21日公開

監督 湯浅憲明

脚本 高橋二三

 

ガメラシリーズ第5弾。

展開は前作『ガメラバイラス』と同じで日本人と外国人の少年二人の冒険活劇となっている。前作に登場した潜水艦が本作ではテラの宇宙船に、バイラス星人の宇宙船が惑星テラに置き換えられていて、冒頭で使われた子供のイタズラが逆転のきっかけになっている。

 

ガメラバイラス』では主人公の少年達にあまりストレスの無い展開だった。正夫の発明は周りの大人達に評価されていたし、バイラス星人は少年達を人質にしたが宇宙船の中での行動は自由だったし、国連は少年達の命を救う為に地球の降伏を決めている。

しかし、主人公達の危機が弱い状態ではドラマを盛り上げるのは難しく、本作では主人公である明夫とトムと友子は厳しい状況に置かれた。

 

まず、明夫とトムの宇宙への憧れは親には理解されず、二人が宇宙船に乗って誤って宇宙に飛び出しても二人の親は信じなかった。残された友子がいくら訴えても逆に友子の状況が厳しくなっていく。ようやく大人達が信じてくれたと思ったら、今度は特ダネ狙いのマスコミ達に囲まれる事になってしまった。(しかもマスコミの大人達は笑顔で話を聞きに来ながら、実際は友子の話をそんなに信じていなかった)

 

惑星テラに辿り着いた明夫とトムはフローベラとバーベラに出会うが、二人は人間を食すると言う衝撃の展開。怪獣作品で人間を食べてしまおうとする人種が登場する事は度々あるが、髪の毛を剃って頭蓋骨を切って…と具体的なのが実にエグく、かなりのヤバさであった。だが、それだけにガメラが来た時の安堵感があった。

 

ガメラバイラス』ではバイラスを知的生命体にして後半まで戦闘をしなかった事からバイラスの強さがあまり伝わらなかった。いざ戦ったらガメラを串刺しにするインパクトを見せたのだが、その前のバルゴンやギャオスに比べるとどうにも印象が弱い。そこで本作に登場するギロンは強いインパクトを残すよう演出されている。

 まずは『ガメラ対ギャオス』でガメラを苦しめたギャオスを宇宙ギャオスとして再登場させ、ギャオスの超音波メスがギロンには通用せず、逆にギロンによって解体される事となった。強敵ギャオスに圧勝する事でギロンの強さがアピールされた。

言ってしまえば、ギャオスは新怪獣ギロンのかませ犬にされたのだが、この頃の怪獣映画で主人公が苦戦したかつての敵キャラを新怪獣のかませ犬にすると言う展開は実は珍しい。まず、シリーズが続いていないと出来ない事なのでその時点でゴジラシリーズとガメラシリーズに限られてしまうし、ゴジラシリーズではかつてゴジラと戦った怪獣が新怪獣に倒されると言うのは1960年代には殆ど無かった。『三大怪獣 地球最大の決戦』でモスラキングギドラにぶっ飛ばされたシーンくらいであるが、これも前作『モスラゴジラ』では幼虫モスラは2匹がかりでゴジラを倒したのに対しキングギドラ戦では幼虫モスラは1匹しかいない等、パワーインフレが起きないようバランスが調整されての戦いとなっていた。

しかし、本作ではそのようなバランス調整は行われず、ギロンは宇宙ギャオスを容赦無く倒し、「こいつはヤバい奴だ!」と言う認識を観客に植え付けた。

 

ギロンのデザインは頭が出刃包丁になっていると言うとんでもないものでありながら一つのキャラクターとしてまとまっているのが実に素晴らしい。この発想はどこから出てくるのだろうかと不思議に思う。この辺りのデザインの自由さが昭和ガメラシリーズの魅力である。

 

公開された前年にメキシコシティオリンピックが開催されたのでガメラが鉄棒を行うシーンがある。昭和の怪獣映画は『怪獣大戦争』でゴジラが『おそ松くん』のイヤミのシェーをした辺りから当時の流行を取り入れたシーンが作られるようになった気がする。現在だったら2016年公開予定の『シン・ゴジラ』でゴジラが五郎丸ポーズをするようなものだろうか。

 

さて、本作は全体的に良くまとまっているのだが一つだけどうしても気になる点がある。それは劇中では宇宙人の存在が認められていない事だ。実は本作は『ガメラバイラス』より前の話だったと考えたら大丈夫なのかなと思ったが劇中の回想シーンでバイラス星人が出ているので無理だった。

「去年、地球に襲来したバイラス星人によって各地が破壊され、国連は降伏を選択したが、宇宙人なんてそんなものいるわけがない!」と言うのはあまりにもおかしい。スタッフの誰かが指摘する事は無かったのだろうか…。