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shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『ゴジラ対ヘドラ』(1971年公開)

ゴジラ対ヘドラ

1971年7月24日公開

監督 坂野義光

特殊技術 中野昭慶

脚本 馬淵薫坂野義光

 

円谷監督が亡くなり、有川監督が去り、本多監督も離れた中での新シリーズ。
60年代後半のゴジラシリーズが安定路線に入っていたのに対し、70年代最初の作品となった本作はかなり刺激的な挑戦作となった。
 
ゴジラ』が戦争や核と言った1954年当時の社会問題を投影していた作品だったのに対し、本作は公害と言う1971年当時の社会問題を取り上げている。『ゴジラ』に比べて公害の描写が生々しくて怖い。このブレーキの無い演出が70年代らしい。
 
ゴジラシリーズは怪獣が主役と謳っていても実際のドラマは人間が中心になっている事が多い。それに対して本作はヘドラ(公害)を中心に描いていて、全てのドラマがヘドラ(公害)についてのものとなっている。ある意味、怪獣作品の初心に還った作品と言える。
 
しばらくは南海の孤島が舞台だったが本作は久し振りに日本の街が舞台になっていて、怪獣が現れては理不尽に街を破壊して人間を殺していくと言う『ゴジラ』にあった恐怖が復活している。メインキャラまで無慈悲に殺されていく辺り、その恐怖はゴジラシリーズでも上位に食い込む。
 
ヘドラが公害の象徴なのに対し、本作ではゴジラが戦争や核の象徴と言う描写は見られない。60年代後半の島で暮らしていたイメージからか、自然の象徴になっていて、ヘドラと公害を生み出した人間に怒りを向けるキャラとなっている。
 
本作のゴジラは公害に対する自然の象徴として作品的には正義の立ち位置になるのだが、決して人間の味方ではないと言う絶妙な描き方がされている。子供の声には反応したが、自衛隊を一睨みする事で、人間の都合で戦ったわけではないと言う意思表示をした。
 
本作のゴジラヘドラを徹底的に叩き潰す! ゴジラがここまで相手を叩きのめしたのは他に無いんじゃなかろうか?
本作のゴジラは昭和後期の中でも怖さが残っていて個人的に好きなゴジラ
それだけに何でゴジラを飛ばしたし!!
ガメラウルトラマンの存在が影響したのは分かるんだけどさ…。さすがに無理があるだろう…。
 
ヘドラは公害をエネルギーにしていると言う生物離れした設定。元は宇宙怪獣だったと言う設定は「今の公害を生きられる地球上の生物はいない」と言う意味に繋がっていて実に効果的。あのゴジラですらヘドラに触れると肉が焼け落ちている。
そう言えば、平成ゴジラは核をエネルギーにしていて核のある所に現れると言う本作のヘドラみたいな設定になっていた。
 
本作の主人公の一人であるケン坊の生き残り力が凄い! あんなに何回もヤバい状況に陥りながらよく生き残れたものだ。
ケン坊はゴジラの存在を感じ取り、テレパシーで声を聞ける。子供の戯言だったのかもしれないが、もし本当だったのなら三枝未希もビックリだ!
 
と言うように本作を80年代風にしたのが『ゴジラ1984)』と『VSビオランテ』なのかなと思う。
 
今回のゴジラはかなりのピンチで人間が作った電極版が無かったらヘドラを倒す方法が無かった。その人間も結局は電極版を扱い切れず、ゴジラがいなければヘドラを倒せなかった。
ゴジラと人間が力を合わせなければ勝てなかったが、両者を単純に味方としなかったバランスが良かった。
 
そう言えば、ゴジラって昔は電気に弱かったのだが、『南海の大決闘』で電気を浴びて復活してからは逆に電気を味方にする事が多くなった気がする。
 
自分は作品公開時には生まれていなかったのだが、当時を知らないが故に逆に興味を引かれた作品であった。
無国籍無時代風だと他の国や後の時代で見ても内容が理解しやすいのだが、その一方で本作みたいに「当時の日本が抱えていた問題」を扱う事で、この作品を通して「当時の日本の問題」に関心を抱く事が出来ると言うのは時代を経てもソフト化される映画(特に子供向け作品)の面白さの一つと言えるかもしれない。
今の子供達は「公害」を知らないだろうが、本作を見れば、かつての日本で実際に起きていた「公害」と言う問題を知る事が出来る。これは非常に大きな意味を持っていると自分は思う。