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shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年公開)

ゴジラ

『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』

1967年12月16日公開

監督 福田純

特技監督 有川貞昌

脚本 関沢新一・斯波一絵

 

前作『南海の大決闘』でも殆どの特撮演出を任されていた有川監督が東宝の二代目特技監督としてクレジットされた作品。劇中で高島忠夫さん演じる博士が「オヤジ」と呼ばれているのは円谷英二監督をイメージしているのだろうか?
 
最初の『ゴジラ』を始め、殆どの怪獣作品は「怪獣が人間の生活圏に入った為に排除される」内容なのだが、本作は逆に「人間が怪獣の生活圏に入った為に脅威にさらされる」内容となっている。
 
シリーズを経るにしたがって段々とゴジラと人間が敵対しなくなってきたが、それでもゴジラと人間を馴れ合わそうと言う意識はこの頃はまだ無く、本作のゴジラも人間の味方ではない。と言うか、人間と言う取るに足らないちっぽけな存在の事は基本的に無視している。
そこで登場するのがゴジラの息子ミニラで、ミニラと人間を友好的な関係にし、そのミニラを通じて間接的にゴジラも人間とは敵対しない怪獣と言う位置にした。
 
スチール写真を見てミニラを「可愛い」と言う人は少ないと思うが、実際に劇中でのミニラを動き付きで見るとかなり可愛い。駄目な子っぷりが愛おしい感じで、ミニラの中に入っているマーチャンさんの大勝利!と言っても過言ではない。
 
元々、怪獣は人間とは相容れない存在だったが、人間が中に入って演じる着ぐるみ方式の為、怪獣の動きにはどこか人間的なものがどうしても出てくる。今回はそれに親子関係と言った人間的な要素を加えた事でゴジラ親子は人間とは相容れない存在ではなくなった。
ゴジラ親子を人間的なものにする事で人間とは敵対しない怪獣とし、逆にカマキラスやクモンガは人間が中に入らない操演によって動きが付けられた事で非人間的なものとなった。こうして本作は怪獣を人間的なものと非人間的なものとに分けた。よく考えたらどちらも同じ怪獣なのに、どうして人間にとってミニラは良くてカマキラスは駄目になるのかと言う事になるのだが、それを人間的な怪獣と非人間的な怪獣に分ける事で視覚的に観客を納得させたのだと思われる。
 
実際に見てみたらカマキラスは倒されても同情を感じない怪獣だったし、クモンガの生理的に嫌悪を催す造形と演技は凄いの一言であった。ゴジラシリーズと言うより海外のモンスター映画のモンスターに近い怪獣だった。
 
今回の話はゾルゲル島での気象コントロール実験が全ての始まりと終わり。最初の実験で怪獣を出現させ、最後の成功でゴジラ親子は眠りについた。これは『ゴジラ』でゴジラが出現した原因である水爆実験に当たるのが最初の気象コントロール実験の失敗で、『ゴジラの逆襲』でゴジラを雪崩に埋めて眠らせるのが最後の気象コントロール実験の成功に当たる。
有川監督が円谷監督から特技監督を引き継いだ本作はかつての円谷怪獣映画で使われた要素を再現する事から始まったと言える。
 
そう考えたら、空を飛ぶカマキラスラドンで、糸を吐くクモンガはモスラの再現だったのかもしれない。カマキラスラドンほど高く速く飛ばず、クモンガもモスラのように二方向から挟み撃ちに出来なかったので、どちらもゴジラにあっさりと倒されてしまったが。
ここまで来たら殆どこじつけだが、カマキラスが三体いたのは三つ首のキングギドラのイメージがあったのかも?
 
本作の見所の一つは怪獣ミニラと人間サエコの関係。
ゴジラはこれまでにあった人間とのあれこれで素直に人間の味方は出来ないが、ミニラにはそう言うものが無いのであっさりとサエコに心を許している。一方のサエコも今まで日本に住んでいた事が無かったのでゴジラに襲われた事が無く、ミニラを素直に助ける事が出来た。
日本ではない南海の島を舞台にした事で戦後日本と密接に絡んでいた人間と怪獣の対立関係をあっさりと解消できた着眼点はもっと評価されて良いと思う。
 
1作目の『ゴジラ』と第五福竜丸事件から13年、原爆投下と終戦から22年。時代は変わったと言う事を感じる一本。でも、未来に希望を見出していた時代の作品だと思う。