shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965年公開)

フランケンシュタイン対地底怪獣』

1965年8月8日公開

監督 本多猪四郎

特技監督 円谷英二

脚本 馬淵薫

 

自分が怪獣作品に興味を持って色々と調べた時に作品の存在は知っていたのでもはや疑問を抱く事も無くなっていたのだが改めて冷静に考えてみると「フランケンシュタインの怪物を巨大化させて怪獣と戦わせよう」と言う発想は凄いなぁ…。
でも「フランケンシュタインの怪物」=「人間が倫理を犯した事で誕生した悲劇の存在」と言うのが「怪獣」と言う存在と全く同じなので実際に見てみると違和感は全く感じない。むしろ、これこそ「怪獣」の本質を最もよく示した存在なのではと思える。これは凄い事だ。
 
ゴジラ』で戦争の影を背負った芹沢博士と核を背負ったゴジラが同一視されていたが、本作に登場するフランケンシュタインの怪獣はその戦争と核を一緒に背負った存在である。
そして『ゴジラ』ではゴジラを獣型の怪物、いわゆる怪獣にし、そのゴジラと芹沢博士を重ね合わせる事で、人間社会の影で生きるものを空想世界のキャラクターを通して描いた。それを本作のフランケンシュタインの怪獣はゴジラと芹沢博士の要素を合わせて獣型ではなく人間の姿で描いた事で、よりストレートに人間社会の影で生きるものをスクリーンに出す事となった。
 
怪獣映画は徐々に明るくコミカルになっていったが本作は『ゴジラ』を思わせるような暗く重い雰囲気になっている。他の1960年代の怪獣映画と比べても異色で、『ゴジラ』から約10年経って原点回帰したとも言える。
 
フランケンシュタインの怪獣がTVを見て興奮した後、ヒロインの戸上に迫る場面は確かに性的な香りを感じる。獣型のゴジラではこういった人間の女性との恋愛話は難しいが(平成に入ると平成ガメラシリーズ等で描かれるようになるがこの時点ではまだ難しい要素)、フランケンシュタインの怪獣は人間の姿をしているのでこういった構図も成り立つ。人間と怪獣とで三角関係が繰り広げられると言うのは『ゴジラ』を越えて世界の怪獣映画の原点である『キング・コング』まで遡っているとも言える。
 
一方でフランケンシュタインの怪獣を殺すべきではないとしてある特定の場所で飼育しようと言う話が出てくる。後の『怪獣総進撃』『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』『ウルトラマンコスモス』の要素も先取りしていて驚かされる。(これは『キング・コング』にもあった要素だけど)
 
日本で「怪獣」と言えばゴジラを始めとする着ぐるみで表現された獣型と言うイメージがある中、人型のフランケンシュタインの怪獣だけでは「怪獣作品」として成立しにくいところをバラゴンと言う正統派着ぐるみ獣型怪獣を出してバランスを取るところはさすが。
 
フランケンシュタインの怪獣は写真で見ると怖かったのだが実際に映画を見ると彼に感情移入するように作られていたので怖くなかった。子供の時に轢かれた恐怖で車が苦手なのに、自分を殺そうとした川地を助ける為に自ら車の前に出てくるシーンとかを見ると彼は怪物じゃなくてヒーローだと思う。
 
フランケンシュタインの怪獣とバラゴンの戦いは着ぐるみの制約が無いので他の作品では見られないスピーディーでテンポの良い戦いが見られる。同じ人型でもウルトラマンのような超人でもなく、巨大ロボットのように武器を使うわけではない、フランケンシュタインの生身の人間としての戦いが面白い。
 
それだけに最後のぶつ切り感が非常に残念。
それまでフランケンシュタインの怪獣に同情気味だったボーエンが最後の最後で「死んだ方が良いのかもしれない。所詮彼は「怪物」だ」と言い放ってしまうのが衝撃的で面白かっただけにもう少し余韻が欲しかったところ。大ダコ追加版も見ていて「???」と混乱したまま終わってしまったし…。面白い話だっただけに結末が残念な作品だった。
 
今更ながらだけど、バラゴンの登場や戦争の影を背負った不死の心臓とか、『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』は本作へのオマージュが色々と込められていたんだな。