shoryu38の特撮・ヒーロー日記

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『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999年公開)

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(STAR WARS EPISODE Ⅰ THE PHANTOM MENACE

1999年5月19日アメリカ公開

監督 ジョージ・ルーカス

脚本 ジョージ・ルーカス

 

スター・ウォーズシリーズ第4弾にして新三部作の第1弾。

ところで『エピソード7』が公開されたらこの「旧三部作」と「新三部作」と言う分け方はどうなるのだろうか? 新シリーズの公開が始まったのに10年前のシリーズを「新三部作」と呼ぶのはちょっと違和感があるのだが…。

 

日本で公開されたスター・ウォーズシリーズの中で本作だけが日本語訳のタイトルになっていない。シリーズとしての統一感を出す為に日本語訳のタイトルにしてほしかったところもあるが、この「ファントム・メナス」と言う語感が結構好きなので個人的には難しいところ。因みに「ファントム・メナス」とは日本語で「見えざる脅威」と言う意味になり、シスの暗黒卿の事を指しているらしい。

 

スター・ウォーズシリーズは旧三部作と新三部作とでは随分と雰囲気が異なっている。大ざっぱに言えば旧三部作は「冒険」を描き、新三部作は「世界」を描いていた。

旧三部作にもフォースやジェダイやダークサイドと言った独自の設定があるが、それらを全て外しても「一人の平凡な青年が冒険と共に成長して姫を助けて父を救って悪の皇帝を倒す」と言うストーリーは成り立つ。

対して新三部作は「純真だった一人の少年が様々な思惑の果てに闇堕ちする」と言うストーリーになっている。ここで注目したいのはアナキンがダース・ベイダーに堕ちる理由が一つだけではなかった事。これが「愛する者を失った男が憎しみに囚われる」なら分かり易かったのだが、実際には「表向きは禁止されていた奴隷と言う身分」「9歳まで育った中で得た考えとジェダイの考えとのズレ」「パルパティーンを始めとした政財界の思惑」等が複雑に絡み合っていた。つまり、アナキンがダース・ベイダーに堕ちた原因は愛する者の死と言う単純なものではなく、アナキンが生きたあの世界そのものがアナキンをダース・ベイダーへと堕としてしまったと言える。アナキンの人生を考えるにはこういった様々な事情も考慮しなければならない。結果、新三部作ではアナキンがダース・ベイダーに堕ちる為の要素として実に色々な事を描写する必要が生じ、旧三部作のような痛快は娯楽作にはならず、重苦しくて複雑な作品となった。

 

この頃は純真な少年だったアナキン。「奴隷の解放」を夢見た彼が最終的に「抑圧する側」に回ったのは皮肉だ。

アナキンの母親が処女懐胎でアナキンを身籠ったみたいな事を言い出した時は「いきなり何を言い出すんだ?」と思ったが、後にアナキンの父親の話が出てこなかったところを見ると、本当にフォースにバランスをもたらす者として誕生したのかな?

 

アナキンがルークと同じタトゥイーンで暮らしていた事が明らかになるが、ポッド・レースで結構な有名人だったアナキンと同じ「スカイウォーカー」の名を持っている子供がいたらダース・ベイダーに見付かりそうな気がするのだが、その辺りはどうだったのだろうか?

 

個人的に『エピソード1』は中盤のポッド・レースが一番好き。スピード感が実に心地良い。個人的に『F-ZERO』を思い出す。(一番最初のスーファミ版のやつ)

 

本作のヒロインであるパドメ・アミダラ。なんと言ってもデザインが素晴らしい! 和風テイストが組み込まれた特徴的な衣装が実に良い!

 

そのパドメはナブーの戦いで自ら最前線に立って戦うが、そう言うイメージが無かったので、この場面は見ていて違和感があった。

 

クワイ=ガン・ジンは優秀なジェダイとして時には卑怯な手段を用いながらも確実に仕事をこなしていくので見ていて安心感があった。最後はダース・モールに敗北して殺されてしまうが、彼が生き延びてアナキンの師匠になっていたら銀河の歴史は変わっていたんだろうな…。

 

ダース・モールはその特徴的なデザインで出番は少なくとも印象は残るキャラクターとなった。あの外見で言動は物静かで常識人と言うギャップが面白い。

旧三部作ではライトセイバーを使う存在が少なかったのだが新三部作では大幅に増えてライトセイバーによる戦いも色々と見られる。今回のクワイ=ガイ・ジン&オビ=ワンVSダース・モール戦はその始まりでこれまでに無い実にスピーディーな戦いが見られた。

 

スター・ウォーズシリーズを代表する不人気キャラのジャー・ジャー・ビンクス。お喋りな性格はC-3PO、ボス・ナスとの話はハン・ソロをイメージさせるが、いかんせん、良い場面が少なすぎた。

C-3POはお喋りで実際の戦闘力は無いのだがR2-D2との友情物語があり、R2-D2がダメージを負った際には自分の部品を使って直してほしいと訴える場面があったがジャー・ジャーにはそう言う話は無かった。ハン・ソロは大人の男として危機を乗り越えていき、ヤヴィンの戦いでは帝国軍撃退のきっかけとなったのだが、ジャー・ジャーは水中船が停止した時は騒ぐだけだったし、ナブーの戦いも偶然のみで生き延びてしまった。

原始的な種族が敵を撃退する流れは『エピソード6』のイウォーク族と同じだが、イウォーク族が犠牲者がどんなに出ても帝国軍との戦いを続けたのに対してジャー・ジャーは形勢不利になるとあっさりと降参する等、もう少しカッコ良い場面を用意してあげろよと言いたくなる。

 

本作の監督はジョージ・ルーカス本人。『エピソード4』は面白かったのだが本作は…。本作は説明場面になると登場人物が動かずに長々と説明台詞を話すと言う場面が多くて全体的に動きが感じられなかった。なんと言うか、淡々と話が進んでしまって盛り上がりに欠ける作品であった。話自体は悪くないと思うので、演出の問題かな…。