読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ウルトラ38番目の弟

ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『スーパーマン リターンズ』(2006年公開)

スーパーマン

『スーパーマン リターンズ』

2006年6月28日アメリカ公開

監督 ブライアン・シンガー

脚本 マイケル・ドハティ ダン・ハリス

 

スーパーマンシリーズ第5弾。
2004年に亡くなったクリストファー・リーヴに代わってブランドン・ラウスがスーパーマン役に。
アメコミ映画はバットマンシリーズやスパイダーマンシリーズのように時が経つと「リブート」と言って一から話を仕切り直す事が多いが、本作は1978年に公開された『スーパーマン』から始まるシリーズの「続編」と言う珍しい形を採っている。
その為、リブートされた作品では以前のシリーズとの差別化が図られるが本作は以前のシリーズの再現が行われていて、BGMやシチュエーション等、以前のシリーズを見ていると思わずニヤリとする場面が多い。ここはリブート作品となった『マン・オブ・スティール』と比べて見ると違いがよく分かる。
 
以前のシリーズを引き継いでいると言っても本作は以前のシリーズの最終作である『Ⅳ』の続編ではなく、『Ⅰ』と『Ⅱ』の続編となっている。この理由を『Ⅲ』と『Ⅳ』は成績と評価が悪かったからとする意見もあるし実際にそれもあるのだろうが、個人的には「マーサの存在」が大きく関わっていると思う。クラーク・ケントの地球における母親マーサは『Ⅲ』では既に死亡していて、スモールビルにある実家も『Ⅳ』で売却話が出ている。今回はスーパーマンの帰還を描くので、やはりスモールビルでのマーサとの再会を描きたかったのだろう。そうなるとマーサが死亡して実家も売却される『Ⅲ』や『Ⅳ』の設定を引き継ぐのは難しくなる。
 
因みにスーパーマンシリーズの時系列を整理してみると、
『Ⅰ』→『Ⅱ・冒険篇』→『Ⅲ』→『Ⅳ』。
『Ⅰ』→『Ⅱ・冒険篇』→『リターンズ』。
『Ⅰ』→『Ⅱ・ドナーカット版』。
と三つの時系列に分かれる事になる。
(『Ⅱ・ドナーカット版』は結末が『Ⅳ』や『リターンズ』と繋がらないようになっている)
 
本作は『Ⅱ・冒険篇』の続編なのである意味で「スーパーマンシリーズの3作目」とも言える。
『Ⅲ』も本作もスーパーマンクラーク・ケントが久し振りに帰ってくると、かつて想いを寄せていた女性がシングルマザーになっていたと言う共通点がある。あと本作ではスーパーマンは5年振りに帰還したとなっているが、『Ⅰ』公開から『Ⅲ』公開までの期間が5年となっているので、そこを意識した時間経過なのかもしれない。
 
本作は全体的には『Ⅰ』の流れを汲んでいる。
まずスモールビルから始まり、次にメトロポリスに場面が移り、飛行機事故からロイスを守り、街の色々な事件をスーパーマンが解決し、最後にルーサーが起こした大災害の中でロイスが閉じ込められて死にそうになるのをスーパーマンが救うとなっている。
スーパーマンが起こす数々の超人的活躍は映像技術が発達した現在でこそより光るものとなっている。中盤のクライマックスである飛行機の救出シーンは「これぞスーパーマン!」と言える出来であった。
 
ルーサーは『Ⅳ』でちらりと見せた結婚詐欺の部分が取り上げられ、彼が事件を起こす際の資金の出処が判明する。キティは『Ⅰ』と『Ⅱ』に登場したテッシュマッカーを継ぐキャラ。ルーサーは結婚詐欺師で幾人かの女性を騙して手玉に取っているのだが、テッシュマッカーもキティも「騙されるほどの人の良さ」で最後はルーサーを裏切ってスーパーマンを助けてしまうと言う皮肉が面白い。
 
ルーサーの部下は少しお茶目なところもあるが『Ⅰ』や『Ⅱ』に登場したオーティスや『Ⅳ』に登場したレニーに比べるとリアルな悪人としてキャラ造形されている。しかし、これが裏目に出てイマイチ印象が薄いキャラになってしまった。壮大な計画を実行するには複数人必要として数を増やしたのは良いが、それが余計に個々のキャラを弱める事となり、本作後半ではルーサー一味が前面に出てくるのだが彼らのキャラの弱さのせいでドラマがイマイチ弾けない結果となってしまった。
 
ロイスの恋人であるリチャードは実は嫌な人かと思ったが終始イイ人であった。
スーパーマンはアメリカ人が求める「ナイスガイ」を体現しているが、ロイスやジェイソンと常に一緒にいるリチャードもアメリカ人が求める「良き父親」を体現しているように思える。つまり、本作はスーパーマンとリチャードでそれぞれ別の「良き父親」を出しているのだ。
これはそのままカル=エル…クラーク・ケントに対する二人の父親ジョー=エルとジョナサン・ケントの立ち位置と同じで、仮に続編が製作されていた場合、ジェイソンにとってスーパーマンが超人としての父親でリチャードが人間としての父親となって物語が展開されていたかもしれない。
 
個人的な意見だが自分はスーパーマンは本作ラストで死亡したと解釈している。
かつてジョー=エルが死んだ後も魂となってカル=エルに寄り添ったように、スーパーマンも死んだ後も魂となってジェイソンに寄り添う事になったのではないだろうか。
「息子は父に。父は息子に還る」とかつてジョー=エルがカル=エルに遺した言葉を今度はスーパーマンがジェイソンに語りかけるが、これはかつて息子であったカル=エルも父親となり、その魂は息子ジェイソンの中へ…、と言う意味だと考えられる。
 
最後のこの映画で一番好きなシーンを。
地球の危機を救ったが力尽きて倒れてしまったスーパーマン。人々はスーパーマンを助けようと最善を尽くす。こういう「ヒーローの事を心配して見守る人々」と言う絵に自分はとことん弱いので、この映画は何回か見ているがこのシーンは何度見ても泣く。