shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『スーパーマンⅣ/最強の敵』(1987年公開)

『スーパーマンⅣ/最強の敵』(SUPERMAN Ⅳ THE QUEST FOR PEACE)

1987年7月24日アメリカ公開

監督 シドニー・J・フューリー
脚本 ローレンス・コナー マーク・ローゼンタール

 

クリストファー・リーヴ主演のスーパーマンシリーズ最終作。
評価が低い作品で実際に色々と酷い。
飛行シーンとかは『スーパーガール』の後に見るものじゃないし、編集も雑で話の流れが悪い。劇中で儲け主義で内容がメチャクチャになった新聞とオーナーを否定していながら、そう言う映画を作ってしまったのはどういう事なんだ?と問い詰めたくなる。
 
本作にはカットされたシーンがたくさんあり、それらを組み込むと話の流れは理解できるようになる。未公開シーンを組み込んで編集し直せば話に関する評価は今より良くなるんじゃないかなと思う。
 
『Ⅰ』でジョナサンが死に、『Ⅲ』でマーサが死んだ事が語られ、本作ではスモールビルにあった実家の売却話が出る等、クラーク・ケントの故郷が徐々に消えていく。それはカル=エルの身にも起き、『Ⅱ』の「リチャード・ドナー・カット版」にはあったが「冒険篇」ではカットされていた北極の家とジョー=エルの消滅が本作では宇宙船の消滅とラーラ=エルの消滅と言う形で再現された。
こうしてクラーク・ケントことカル=エルは故郷を失い、メトロポリスで生きていく事になる。
 
リチャード・ドナー・カット版」では時間を巻き戻す事でロイスがスーパーマンの正体に気付いた事自体を無かった事にしたが、「冒険篇」ではロイスの記憶を消したが正体に気付いた事実は残っているとなっていたので、本作のようにロイスが記憶を取り戻すと言う展開が取られた。ロイスは自分はこう考えてこう行動すると言うのがしっかりと決まっているので、そこが優柔不断なクラーク・ケント=スーパーマンの心の支えになると言うのは納得できる。
 
本作のヒロインはロイスの他にレイシーがいる。
最初は父親と同じく儲け主義で他人を見下していた彼女が素朴な青年クラークに関わる事で変化していく。ロイスが超人スーパーマンと出会って変化していくのに対し、レイシーは人間クラーク・ケントと出会って変わったと言うのが良い。
スーパーマンとロイス、クラークとレイシーのWデートは一人二役のスーパーマンらしいシーンで面白い。
 
レイシーの父親デヴィットは酷い奴だった。
マスゴミ」と言う言葉は使いたくないがさすがにその言葉が頭に浮かんだ。
恐怖を煽れば新聞の売り上げが上がるとして「核戦争突入か?」と実態に則していない記事を書き、子供の口を通す事で自分達の主張に正当性を持たせようとし、核兵器を排除したスーパーマンに対して国防力を低下させる事が目的か?とわざと敵を作るような記事を書こうとする。
まぁ、デヴィットが酷い奴だっただけに最後のホワイト編集長の反撃とジャーナリストとしての矜持が痛快になるのだが。
 
レックス・ルーサーはさすがのジーン・ハックマンでスーパーマンの長年の宿敵に相応しい貫録を見せつけてくれる。
『Ⅰ』と『Ⅱ』にいたオーティスとテッシュマッカーは本作に登場せず、オーティスの代わりにルーサーの甥のレニーが登場。テッシュマッカーの代わりにルーサーは美女二人を侍らせていて、この二人が結構面白そうなキャラをしているのだが残念ながら出番自体が少なかった。
ルーサーはこの二人以外にもあるマダムに取り入っているような場面があり、詐欺師の本領で人を騙して生きているのが描かれていた。
 
ニュークリアマンは実は公開された映画に登場した人物の前にもう一人作られている。
このニュークリアマン0号とも言うべき存在は愛嬌はあるのだが知能は著しく低く、まるで大きな体をした赤ん坊のようなキャラクターとなっている。この時の外見は映画に登場した端正な顔とは違っていて、ホラー映画の「フランケンシュタインの怪物」を思わせるものとなっていて、ルーサーが禁忌を犯した事がより分かりやすくなっている。
 
ニュークリアマン0号とルーサーの関係は実は赤ん坊時代のカル=エルとジョー=エルと同じで、カル=エルの場合はこの後にケント夫妻によるクラーク・ケント時代があるのだが、ニュークリアマンにはそれが無く、スーパーマンに一度倒されて灰になった後、その灰から新たなニュークリアマンが作られている。(これが映画に登場したニュークリアマン) このニュークリアマンがスーパーマンに対比される存在で、ニュークリアマンはスーパーマンの誕生を人工的に行い、さらにケント夫妻による教育の時代をすっ飛ばした、と言う存在になっている。『Ⅲ』でスーパーマンの人格が善と悪に分かれた時に善の人格の象徴としてクラーク・ケントが現れたが、ニュークリアマンにはその善の人格が無いと言える。
スーパーマンに勝ったニュークリアマンは偶然目にした新聞でレイシーに一目惚れし、この辺りからルーサーの言う事を聞かなくなる。ここは「リチャード・ドナー・カット版」でロイスとの愛を選んでジョー=エルと対立したスーパーマンと同じ展開である。
と言う風にニュークリアマンはこれまでスーパーマンが辿ってきた道程を再現している。
『Ⅰ』の敵であるルーサーの手によって生まれ、『Ⅱ』の敵であるゾッド将軍と同じく超人で、『Ⅲ』に登場した悪のスーパーマン、とこれまでの敵を全て合わせたまさしく「最強の敵」であった。
 
因みにニュークリアマンは太陽の光が無ければ活動できないとなっているが、スーパーマンの超人の秘密は太陽の光にあるので、おそらくスーパーマンも太陽の光が無ければ超人の力を発揮できない可能性はある。しかし、スーパーマンの場合は超人の力を失っても『Ⅱ』のように人間クラーク・ケントとして生きる事は出来る。だが、ニュークリアマンにはそのような人間の部分が無いので活動停止になる、つまり、生きていけないのだ。
 
スーパーマンが地球上にある核兵器を取り除いて核戦争の危機を回避させ、世界に向けて平和へのメッセージを送るところは賛否両論あると思うが、現実には不可能な事を実現させるのがスーパーマンの魅力の一つだと思うので自分としてはアリ。
ジェレミー(本作でスーパーマンに手紙を書いて送った少年)をスーパーマンが宇宙に連れて行って宇宙から地球を見せた時、ジェレミーはまず青い海や山を見て、しばらくして「国境は見えない」と気付く場面は素晴らしかった。この「宇宙から見たら地球には国境が無い事が分かる」と言うのはスーパーマンならではのシーンであった。それだけにどうしてこの場面をカットしたのか理解に苦しむ。クラークとレイシーの別れの場面もカットされているけれど、こちらも主人公とヒロインの別れの場面なんだからカットしたら駄目だろうに…。
 
今更言っても仕方が無い事であるが、もっとちゃんとした製作環境だったらなぁ…と思う作品。