shoryu38の特撮・ヒーロー日記

ウルトラマン、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『スーパーマンⅢ/電子の要塞』(1983年公開)

『スーパーマンⅢ/電子の要塞』(SUPERMAN Ⅲ)

1983年6月17日アメリカ公開

脚本 デイビッド・ニューマン レスリー・ニューマン

 

クリストファー・リーヴ主演のスーパーマンシリーズ第3弾。
う~ん。色々と惜しい作品。
 
監督降板等でテーマが変わってしまったが、本来なら『Ⅱ』は父と子、そしてスーパーマンの死と復活がテーマであった。(1980年当時もそうだったかは分からないが、少なくとも「本来の着想に基づいた」と書かれている2006年公開の「リチャード・ドナー・カット版」はそうなっている)
この『Ⅲ』はその父と子とスーパーマンの死と復活が描かれている。
 
『Ⅰ』の前半にあったスモールビル編の後日談。
高校の頃は華やかだった同級生達が現在は離婚やら就職難やらで苦労している。『Ⅰ』はスーパーマンとロイスの空中遊泳にあるように「大人向けのファンタジー」であったが、本作では「リアルな問題に直面する」と言うのが描かれている。
 
高校時代の憧れの人だったラナは離婚して今は息子のリッキーを女手一人で育てている。
本作のヒロインは彼女でクラークと良い雰囲気になるのだが、クラークがラナと一緒になると言う事は、クラークがリッキーの父親代わりになると言う事でもある。
『Ⅱ』は「リチャード・ドナー・カット版」にあったように父親であるジョー=エルの魂は消滅してクラークは父親離れをする事になるのだが、それを受けて本作ではクラーク自身が父親代わりになった。
とは言え、本作ではその辺りはあくまでさわりで、そこが本格的に描かれるのは後の『リターンズ』の事になる。
 
本作の敵であるロス・ウェブスターはスーパーマンの抹殺を考え、その為にクリプトナイトが合成される事になる。結局は未知の成分の再現は出来なかった事でスーパーマンは命を落とす事は無かったが、このクリプトナイトのせいでスーパーマンは悪の人格が芽生えて色々な狼藉を働く事に。つまり、物理的に命を奪う事は出来なかったがヒーローとしてのスーパーマンの心は殺されたとなる。
最後はスーパーマンが善の人格と悪の人格に分かれて戦い、善の人格が悪の人格を殺す(しかも首絞めと言う直接的な描写)となり、『Ⅱ』以上にスーパーマンの死と復活が直接的に描かれている。
 
 
本作で惜しいなぁと思うのは取捨選択のミス。
例えば冒頭は色々な事件が起きているメトロポリスをコメディタッチに描き、最後にスーパーマンが颯爽と現れると言う流れなのだが、上からペンキが降ってきたレベルはともかく、盲目の男性が道路に飛び出してあわや!とか銀行強盗が出たとかならスーパーマンはそれを解決するべきなのだが、本作ではクラークはそれらの事件に気付かず、途中にあったオモチャの人形が燃えているのを消したのと最後の事故を起こした自動車から運転手を救出しただけである。
「目の見えない男性があちこち歩いて行ってしまうコメディ」と「目の見えない男性が道路に飛び出したらそれを助けるスーパーマン」では「スーパーマンの映画」で求められているのは後者であるのにコメディの面白さで前者を選択してしまっているのだ。こういう選択ミスが本作にはいくつかある。
 
 
本作にはスーパーマンに悪の人格が芽生えて色々と勝手な事をするようになる。
それは劇中でも言及されているように「スーパーマンはナイスガイではなくて平均的な男になった」と言う事なのだが、ヒーローであるスーパーマンは女性に色目を使って嫌な事があったら酒を飲んで自分の力を使って悪戯をすると言う平均的な人間の行いでも周りからは「奴ももう終わりだ」と言われてしまう。裏を返せば平均的な人間では周りはヒーローをヒーローとして認めてくれないと言うヒーローの難しさが描かれている。
 
リッキーの訴えを聞いたスーパーマンは善の人格と悪の人格に分離してお互いに戦う事に。
ここでスーパーマンの善の人格がクラークの姿で出ているのが興味深い。
クラーク・ケントは最初からあった存在ではなく、カル=エルを拾って育てたケント夫妻によって作られた存在である。つまり「善の人格」は生まれながらに持っているものではなく、育てられる過程で生まれるものであると言える。
これにジョー=エルとジョナサン・ケントから始まってクラークを介してリッキーへと至る父子の流れを当てはめたら面白い事になると思うが、残念ながら本作ではそこまで深くは描かれなかった。
でも、敵キャラであるガス・ゴーマンは最高のスーパーコンピューターを作り、そのスーパーコンピューターの事を「ベイビー」と呼んで、自分は「パパ」だと言っていた。このスーパーコンピューターは一度はパパであるゴーマンの手によって機能を停止させられると言う「死」を与えられるがそこから「復活」し、今度はパパであるゴーマンの言う事を聞かない、いわゆる父離れして自立した状態で暴れる事になる。この辺りも父と子をテーマにしていたと言え、このスーパーコンピューターとクラークやリッキーをもっと上手く繋げて描けていればなぁと思う。
 
 
クリストファー・リーヴはクラークとスーパーマンの演じ分けも見事だが、本作に登場した悪の人格のスーパーマンの演じ分けも見事であった。
 
ゴーマンに関してだが、『Ⅰ』のルーサーは逮捕され、『Ⅱ』のゾッド将軍は倒されたので、今度は改心する敵キャラが出るのはOKだと思う。ゴーマンのせいでかなりな被害が出ただろうとはツッコみたくなるが…。
 
ローレライはルーサー一味のテッシュマッカーの位置だが、彼女と違って本当は頭脳明晰と言うのが面白い。なのにウェブスター兄妹やスーパーマンと言った強い者に頼って生き延びようとしたのが彼女の運のつきと言える。ここは出来るだけ自力で生きようとするラナとの対比だったようにも見える。
 
本作で残念だったのはウェブスター兄妹。
とても妹キャラに見えない妹のヴェラは面白いキャラなのだが、兄であるロスがどうにもキャラが弱い。
『Ⅰ』のルーサー一味や『Ⅱ』のゾッド将軍一味と比べるとロスはルーサーやゾッド将軍に当たる位置なのだが、頭脳最高のルーサーと戦闘力最強のゾッド将軍の後ではどうにも格が落ちる。しかも今回はヴェラ、ローレライ、ゴーマンと周りのキャラも頭が回って動けるだけに余計にロスの役割が弱くなってしまった。
 
個人的な意見なのだが本作のラスボスはウェブスター一味ではなくて悪の人格のスーパーマンにすれば良かったと思う。悪の人格のスーパーマンならルーサーやゾッド将軍にも負けない印象は残せただろう。