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ウルトラ38番目の弟

ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊、鉄神ガンライザー、ゴジラ、ガメラ、アメコミ映画と色々な事を書いていくブログです。

『ファンタスティック・フォー』(2015年公開)

ファンタスティック・フォー

ファンタスティック・フォー

2015年8月7日アメリカ公開

脚本 ジェレミー・スレイター サイモン・キンバーグ ジョシュ・トランク

 

リブートされた新シリーズの第1弾。
 
…うん。まぁ、その、ね…。
色々とトラブルがあった事は伝え聞いていたしアメリカ公開時や日本での試写会での評判も目にしていたので覚悟は出来ていたが、やはり出来が悪い。ドラマとしての体を成していない。
 
 
前シリーズでもリードは「頭は良いが人間的に問題がある」と描写されていたが、本作ではそれを突き詰めていて、少年時代のリードはまさにマッド・サイエンティストの片鱗を見せていて、一歩間違ったら破滅へと転がり落ちてもおかしくない雰囲気があって見ていてゾクゾクするものがあった。そしてこのマッド・サイエンティストなリードがもたらした結果が中盤にあったホラー描写な超人能力の覚醒に繋がったのだろう。
 
ベンは本作でもリードの守り人であり親友でもあるとなっていて、今回はリードとの出会いが描かれている。
ベンの兄はすぐに弟に暴力を振るう人間であまり学が無い感じ。その中で自分と同い年のリードが自分の知らない世界に目を向け、まだ子供でありながら町全体を停電にしてしまう程の凄い事をしでかすのを見て、ベンはリードに惹かれていく。惹かれていると言うより憧れと言った方が良いか。だからこそ、リードがその能力を十分に発揮できるであろうバクスター財団へとリードを快く送り出す事が出来たのだ。
 
そのバクスター財団の責任者であるDr.ストームは生徒達を自分の子のように愛情を持って接しながら実の子であるジョニーとの関係には頭を悩ましていると言う設定。リードやベンにも家庭に問題がある事が提示され、スーザンも養子で実の家族に関する話が無い等、本作では「家族」と言うのが一つのキーワードになっている。
 
ビクターはリードと同じ研究をしていて、同じくスーザンに心惹かれる者となっている。
リードは親や教師が自分の研究を認めなかった場合、彼らの言葉を無視はしたが逆恨みする事は無かった。しかし、ビクターは自分の研究が思い通りに行かなかった場合に不満を爆発させてそれを攻撃へと転じる。似た者同士でありながらリードとビクターが違う道を辿ったのはここが分かれ目だったのだろう。
 
ファンタスティック・フォー』における能力は手足が伸びるや体が炎に包まれると言った「肉体の変化」によるものなので、一歩間違えると恐怖の対象となる。前シリーズは能力の描写はコミカルにしていたが本作はかなりショッキングな描写にしていて、研究施設に囚われたリードのシーンはかなり怖い仕上がりになっている。
現在も有効かどうかは分からないが本シリーズはX-MENシリーズと世界観が繋がっているようなので、能力を天からの授かりものとも病気のような忌むべきものとも解釈できるようにしているのはX-MENシリーズのミュータント描写に通じるものがある。
 
 
以上のように、主要メンバーの立ち位置や能力の捉え方や解釈は悪くはないのだが、いかんせん、作品の作りがどんどん悪くなっているのが残念。
冒頭の10分間は良かった。少年時代のリードとベンの出会いを描き、二人の関係を構築し、後に至る流れも見せた。これがバクスター財団の研究施設への入学辺りまでは良かったのだが、段々と登場人物の心理描写が雑になっていき、その場で起きた事象をただ描くだけになっていき、クライマックスに至ってはお約束の展開を考え無しにただなぞっただけと言う感じになってしまった。
なので、中盤で自分達の研究成果が没収されそうになって一緒にやけ酒を飲んで憂さ晴らしをしていた仲だったのにクライマックスではその辺りの話からくる葛藤は一切無く、ビクターはいつの間にやら悪になっていてリード達もいつの間にやらヒーローになって戦っていた。
ドラマを作る時には何かしらの柱と言うかテーマが必要で、おそらく前半は「家族」が一つのテーマになっていたのだろうが、後半はそれが薄くなって、リードもビクターもベン達も何を柱にしてドラマを展開して良いのか分からず迷走を続けた感じ。その迷走の中で何とか「ファンタスティック・フォー結成」と言うゴール地点には辿り着いたと言う作品であった。
 
 
ドゥームが研究所を脱出する際の殺戮描写を始め、一つの場面だけ抜き取ると良い絵がたくさんあるのだが、実際に見るとドラマが成立していないのが非常に痛かった。